2018年06月28日
AMP 第5回 〜視点を変えて考える〜
今週の大きなテーマは前回の深い鑑賞を更に深めつつ、
視点を変えて作品を鑑賞してみる。
客観的にただ目の前にある作品を眺めるだけでなく、
作品に描かれた人物、そして製作者の立場から作品を見てみる。
一つ目のアクティビティは、
小グループの半分のみが作品を鑑賞
鑑賞をしていない半分のグループに言葉のみの描写で作品と同じ体勢や表情に誘導し、
作品と同じ構図を考え、写真を撮る。
というのをやってみた。

< Picasso, The Two Saltimbanques (Harlequin and his Companion), 1901 >
1つの目的は、深い鑑賞を意識するということ。
前回気がついたものを詳細に書いてみるという課題をやってみたが、
指先や細かな表情まで人に伝えようとしてみると、先ずは自分が更に細かい観察をしてみないといけなくなるし、人にどうイメージしてもらうことができるのか考える必要がある。
2つ目は、相手に伝わるように自分の言葉で表現してみるということ。
例えば比喩表現を使うというのはリーダーシッププログラムでも僕はよくやるのだけど、
伝えたいことの核心・趣旨を捉えた、全く別のもの・別の状況を想像し、イメージしやすい新しい例えに繋げるというのは頭をよく使うし、その場その場で考える回転の速さも必要になる。
3つ目は、視点・立場を変えて考えてみること。
何となく見ている作品でも同じ構図で写真を撮ってみるというのは、
製作者の目線に立ってみるということでもある。
また実際に体勢や表情を細かく真似してみることで、やってみると意外と不自然なことに気が付いたり、作品の中の人物の距離感から関係性もより見えてくるかもしれない。
もう一つの課題・アクティビティもコンセプトは基本同じだが、
視点を変えて考えるところにフォーカスをおいたものに取り組んでいる。

(Annunciation, Sandro Botticelli,1489 )
同じテーマで数多く描かれている作品を使い、
1グループ3人がそれぞれ別々の画家が描いた作品を鑑賞をしている。
描かれた人物2人と、製作者の立場にそれぞれが立ち、それぞれの目線から場面を考えてみる。
それぞれの人物になりきり、その場面に自分が立ってみる。
自分が見ているものは何だろう?
何が気にかかっていることはだろう?
何を考えているだろう?
どんな感情だろう?
何を言おうとしているだろう?(何を表現しようとしてるだろう?)
“正しい答え”を求めているのではなく、
作品の中に描かれている表現、雰囲気などの根拠をヒントに、想像力を使って考えてみるというのが目的。
逆に考えれば、
自分の作ったストーリーの縮図をこの作品で表すこともできる
ということにもなる。
来週はそれぞれの立場になりきって考えてみるとこから。
何を言いそうだろう?は、『写真で一言』くらい柔軟に考えてみて欲しいなw
視点を変えて作品を鑑賞してみる。
客観的にただ目の前にある作品を眺めるだけでなく、
作品に描かれた人物、そして製作者の立場から作品を見てみる。
一つ目のアクティビティは、
小グループの半分のみが作品を鑑賞
鑑賞をしていない半分のグループに言葉のみの描写で作品と同じ体勢や表情に誘導し、
作品と同じ構図を考え、写真を撮る。
というのをやってみた。

< Picasso, The Two Saltimbanques (Harlequin and his Companion), 1901 >
1つの目的は、深い鑑賞を意識するということ。
前回気がついたものを詳細に書いてみるという課題をやってみたが、
指先や細かな表情まで人に伝えようとしてみると、先ずは自分が更に細かい観察をしてみないといけなくなるし、人にどうイメージしてもらうことができるのか考える必要がある。
2つ目は、相手に伝わるように自分の言葉で表現してみるということ。
例えば比喩表現を使うというのはリーダーシッププログラムでも僕はよくやるのだけど、
伝えたいことの核心・趣旨を捉えた、全く別のもの・別の状況を想像し、イメージしやすい新しい例えに繋げるというのは頭をよく使うし、その場その場で考える回転の速さも必要になる。
3つ目は、視点・立場を変えて考えてみること。
何となく見ている作品でも同じ構図で写真を撮ってみるというのは、
製作者の目線に立ってみるということでもある。
また実際に体勢や表情を細かく真似してみることで、やってみると意外と不自然なことに気が付いたり、作品の中の人物の距離感から関係性もより見えてくるかもしれない。
もう一つの課題・アクティビティもコンセプトは基本同じだが、
視点を変えて考えるところにフォーカスをおいたものに取り組んでいる。

(Annunciation, Sandro Botticelli,1489 )
同じテーマで数多く描かれている作品を使い、
1グループ3人がそれぞれ別々の画家が描いた作品を鑑賞をしている。
描かれた人物2人と、製作者の立場にそれぞれが立ち、それぞれの目線から場面を考えてみる。
それぞれの人物になりきり、その場面に自分が立ってみる。
自分が見ているものは何だろう?
何が気にかかっていることはだろう?
何を考えているだろう?
どんな感情だろう?
何を言おうとしているだろう?(何を表現しようとしてるだろう?)
“正しい答え”を求めているのではなく、
作品の中に描かれている表現、雰囲気などの根拠をヒントに、想像力を使って考えてみるというのが目的。
逆に考えれば、
自分の作ったストーリーの縮図をこの作品で表すこともできる
ということにもなる。
来週はそれぞれの立場になりきって考えてみるとこから。
何を言いそうだろう?は、『写真で一言』くらい柔軟に考えてみて欲しいなw
2018年06月24日
AMP 第4回 〜深い観察〜
第4回なのかな。
リサイクルアートでの授業枠としてや休日の振替で授業がなくなったことなどで
しばらくの間時間が空いていて久しぶりに生徒と顔を合わせた。
今回のお題としては、
Warm Up Activityとして、
『◯(マル)から連想できるもの』を考えてスケッチ。
頭を柔軟にマルから連想できるものを書き出して見て、クラスメイトとのシェア。
なるほどこういうのもあるな。という気づきや、新しいアイディアに繋がればよし。
そして、『観察力』にフォーカスして
作品に『見えるもの・気がつくもの』そしてその『状態を詳しく』書き出す作業をしてみた。
美術館でもそうだが多くの場合実際に作品を見ているのはほんの数秒で、
作品に描かれた詳細に目を向ける前に、最初の印象だけで終わってしまう。
でも実際はワイングラス一つとっても、ちょっとした仕草ひとつでも、身につけたアクセサリーなどよく見て気がつくことで、アイディアは大きく広がるかもしれない。

また上の作品でも同じ女性を見て、『楽しんでいる』という意見もあれば『つまらなそう』という意見もあった。全体として『恐怖』を感じる生徒もいれば、『違和感』にとらわれる生徒もいる。新たな視点を発見し、それを基に考えを進めた生徒もいた。
自分の当たり前は人の当たり前ではない。
人によって見方も感じ方も様々だからこそ
何故そう思うのか意見の理由・根拠を示さなければ人には伝わりにくい。
次回はクラスで出てきたアイディアをお互いに共有し、
新たな視点や気づきを自分に取り入れていくことから。
今回はオンラインとしての自分自身の機材やアプリをしっかり把握できてなかったがために、
最初からバタバタとなってしまった。
こちらで作成してるスライドを、こちらの画面をスクリーンシェアして映して進めていこうと思っていたら、なんとiPadでのスカイプってスクリーンシェアできないという。。
パソコンからならできるけど、iPadではできず。。
iPad上で資料作成してるから、ファイルがパソコンの方には入っていなく。。
それにしても今回もまた色々と勉強になった。
自身の振り返り、気づきと、挑戦が山盛り。
でもまだまだ始まったばかりだ。
美術鑑賞のを通して、
『観察』すること、『感じる』こと、『考える』ことの『経験値』を増やし、
その上で『知る』ことで更に広がる可能性に気がつき、『勉強』をするという道を作っていきたい。
リサイクルアートでの授業枠としてや休日の振替で授業がなくなったことなどで
しばらくの間時間が空いていて久しぶりに生徒と顔を合わせた。
今回のお題としては、
Warm Up Activityとして、
『◯(マル)から連想できるもの』を考えてスケッチ。
頭を柔軟にマルから連想できるものを書き出して見て、クラスメイトとのシェア。
なるほどこういうのもあるな。という気づきや、新しいアイディアに繋がればよし。
そして、『観察力』にフォーカスして
作品に『見えるもの・気がつくもの』そしてその『状態を詳しく』書き出す作業をしてみた。
美術館でもそうだが多くの場合実際に作品を見ているのはほんの数秒で、
作品に描かれた詳細に目を向ける前に、最初の印象だけで終わってしまう。
でも実際はワイングラス一つとっても、ちょっとした仕草ひとつでも、身につけたアクセサリーなどよく見て気がつくことで、アイディアは大きく広がるかもしれない。

また上の作品でも同じ女性を見て、『楽しんでいる』という意見もあれば『つまらなそう』という意見もあった。全体として『恐怖』を感じる生徒もいれば、『違和感』にとらわれる生徒もいる。新たな視点を発見し、それを基に考えを進めた生徒もいた。
自分の当たり前は人の当たり前ではない。
人によって見方も感じ方も様々だからこそ
何故そう思うのか意見の理由・根拠を示さなければ人には伝わりにくい。
次回はクラスで出てきたアイディアをお互いに共有し、
新たな視点や気づきを自分に取り入れていくことから。
今回はオンラインとしての自分自身の機材やアプリをしっかり把握できてなかったがために、
最初からバタバタとなってしまった。
こちらで作成してるスライドを、こちらの画面をスクリーンシェアして映して進めていこうと思っていたら、なんとiPadでのスカイプってスクリーンシェアできないという。。
パソコンからならできるけど、iPadではできず。。
iPad上で資料作成してるから、ファイルがパソコンの方には入っていなく。。

それにしても今回もまた色々と勉強になった。
自身の振り返り、気づきと、挑戦が山盛り。
でもまだまだ始まったばかりだ。
美術鑑賞のを通して、
『観察』すること、『感じる』こと、『考える』ことの『経験値』を増やし、
その上で『知る』ことで更に広がる可能性に気がつき、『勉強』をするという道を作っていきたい。
2018年06月02日
ガードナー美術館教育ツアー
カナダのモントリオールからガードナー美術館に来た中高校生たちにツアーを行った。
モントリオールからということで、
第一言語はフランス語、第二言語が英語だそう。
ガードナー美術館での学生ツアーは、
『一方的に情報を与え続ける』という教育はしない。
Open Questionやグループでの会話を通しながら情報を入れていく。
今回はGardner Museum のGothic Roomという部屋からツアーを始めた。
今回は学生たちも英語が第二言語であったこともあり、
自分が日本人であることなども含め自己紹介をしたあと、
僕は自分はこの美術館はとても『ユニーク』だと思うと自分の感想を述べ、
生徒たちに部屋全体を見回してみてもらい
『気がつくことや思うことを一言で表すと何?』
とだけ投げかけてみた。

(Gothic Room / Isabella Gardner Museum )
例えば『部屋が暗い』という意見があった。
This room is kind of dark...
ー どうしてそんなに明るくないと感じる?(できれば言い換えも使う)
Yea true. What makes us feel this room is not well lit? ( Response with paraphrase )
ー 部屋に電気がほとんど付いてなくて、外からの光だけだから。(もう一つ深い考察と理由)
I don’t see much lights inside the room but more from window. ( observation and reasoning)
ー 実はこの美術館は全体通して自然光を使っているんだけど、それもイザベラの計画の一つだったんだよ。(美術館のライティングに関しての情報)
This museum uses natural light as a main source of light, and it was something Isabella did on purpose. (Information)
ー でもそしたら作品が見にくいんじゃない? (疑問)
But them, isn’t it not easy to see the art clearly?? (Question rised from the info)
ー この美術館の展示物は全てイザベラ本人がこの美術館の4階に住みながら、時間をかけて意図的に配置したものなんだよ。だから光の当たり具合によって部屋がどう見えるのかも分かっててやったんじゃないかな??(情報)もしそうだとすると、光の入り方と展示の仕方にも関係性があるのかもしれないよね。(鑑賞のキッカケ)
Well, Isabella lived in 4th floor of this museum and arranged every object by herself. (Info) So I assume she knew how the rooms look like with the limited light source. The light might be a hint to why she arranged objects this way.
ツアーの目的によっては、
ー 光の当たり方を意識して、自分ならこの部屋の作品をどうアレンジする?
ー この部屋で自分の一番好きな作品を、自分ならどこへ配置する?
みたいな方向に持っていくのもアリだな。。
まぁ、などど生徒たちの考えなどをもとに、
ガードナー美術館やガードナー夫人についての情報も織り交ぜていく。
これは作品にしてもしかり。
Open Question やVisual Thinking Strategy のコンセプトを元に進めていく。
ガードナー美術館の取り組みについて、日本の森美術館はインタビューで、
『Visual Thinking Strategyは意識して取り入れていません。
対話型鑑賞といっても、鑑賞は対話をしないと何も始まらない。「みんな何が見える?」「赤、青、黄・・・」といったような造形要素的な部分のやりとりではなく、その前にもっと伝えたいことがあります。どちらかといえば、目に観て取れる造形的な要素から入っていくよりも、表現されたそのものをみてとることから入っていく方法をとっている。エジュケーターが「教える」よりも作品を先に知ったものを「伝える」立場だとすると、話さなければいけないことがある』
(美術教育における美術館と中学校の連携・全博協 研究紀要 第17号 2014年)
とある。
もちろん美術館の『目的』によって取り組みは様々。
このリサーチをまとめられた方も確か結論として書いていたと思うが、
そもそも美術館教育の目的や概念が違う。
このコメントから察するには、
森美術館はおそらく“美術教育”のための教育が目的であり、
ガードナー美術館は“芸術を通した教育”が目的であり、
アクティブラーニングを目標としてる。
ただ個人的にはこのコメントからは
VTSの意図が理解されていないと感じる。
そもそもガードナー美術館でもVTSというのは教育コンセプトの基礎
として置かれているものであり、情報を伝えないのではない。
“伝え方”が違うだけ。
教育において情報は与えるタイミングが大事ということをとても意識している。
『何を』伝えたいか、だけではなく、
『どう』伝えられるか、『なぜ』伝えるのか。
その情報を与えることでどうなって欲しいのか。
『どうしたら』伝えたいことが生徒の中により残る教育ができるのか。
「赤色が多く使われている」などの一見ただ表面的な意見でも、
まずはそれが現段階で生徒が気がつくこと、説明できることであるということも理解する必要がある。
それにそれって何か間違った意見でもなければ、つまらない意見でもないじゃん?
『赤が多い』ってことはアーティストの
『色の選択や使い方』に気がついてるってことでしょ?
アーティストがなぜ赤を多く使用したのかは、
“表現したそのもの”や、感情、スタイルには繋がらないのかな?
VTSのコンセプトにおいて、意見はただ聞くのではなく、
『ファシリテート』するから意味があるのだ。

アーティストの想いや時代背景が分からないと作品が分からないのではなく、
それが目に見える形で表現されているのが作品でしょ?
だから情報よりもまずは深い鑑賞を促しているのだ。
それがVTSの基本であり、情報はそれを更に深めるためのツールとして捉えている。
対話を通し、学生たちリードで、質問ベースで行うというのは、
一方的に情報を与えるツアーよりも難しい。
グループが変われば意見も変わるし、自分の気がつかなかったことや、
答えを知らない質問もでてくる。
でも、自分の『知っていること』が全てじゃない。
だから芸術っておもしろいんじゃないのかな?
モントリオールからということで、
第一言語はフランス語、第二言語が英語だそう。
ガードナー美術館での学生ツアーは、
『一方的に情報を与え続ける』という教育はしない。
Open Questionやグループでの会話を通しながら情報を入れていく。
今回はGardner Museum のGothic Roomという部屋からツアーを始めた。
今回は学生たちも英語が第二言語であったこともあり、
自分が日本人であることなども含め自己紹介をしたあと、
僕は自分はこの美術館はとても『ユニーク』だと思うと自分の感想を述べ、
生徒たちに部屋全体を見回してみてもらい
『気がつくことや思うことを一言で表すと何?』
とだけ投げかけてみた。

(Gothic Room / Isabella Gardner Museum )
例えば『部屋が暗い』という意見があった。
This room is kind of dark...
ー どうしてそんなに明るくないと感じる?(できれば言い換えも使う)
Yea true. What makes us feel this room is not well lit? ( Response with paraphrase )
ー 部屋に電気がほとんど付いてなくて、外からの光だけだから。(もう一つ深い考察と理由)
I don’t see much lights inside the room but more from window. ( observation and reasoning)
ー 実はこの美術館は全体通して自然光を使っているんだけど、それもイザベラの計画の一つだったんだよ。(美術館のライティングに関しての情報)
This museum uses natural light as a main source of light, and it was something Isabella did on purpose. (Information)
ー でもそしたら作品が見にくいんじゃない? (疑問)
But them, isn’t it not easy to see the art clearly?? (Question rised from the info)
ー この美術館の展示物は全てイザベラ本人がこの美術館の4階に住みながら、時間をかけて意図的に配置したものなんだよ。だから光の当たり具合によって部屋がどう見えるのかも分かっててやったんじゃないかな??(情報)もしそうだとすると、光の入り方と展示の仕方にも関係性があるのかもしれないよね。(鑑賞のキッカケ)
Well, Isabella lived in 4th floor of this museum and arranged every object by herself. (Info) So I assume she knew how the rooms look like with the limited light source. The light might be a hint to why she arranged objects this way.
ツアーの目的によっては、
ー 光の当たり方を意識して、自分ならこの部屋の作品をどうアレンジする?
ー この部屋で自分の一番好きな作品を、自分ならどこへ配置する?
みたいな方向に持っていくのもアリだな。。

まぁ、などど生徒たちの考えなどをもとに、
ガードナー美術館やガードナー夫人についての情報も織り交ぜていく。
これは作品にしてもしかり。
Open Question やVisual Thinking Strategy のコンセプトを元に進めていく。
ガードナー美術館の取り組みについて、日本の森美術館はインタビューで、
『Visual Thinking Strategyは意識して取り入れていません。
対話型鑑賞といっても、鑑賞は対話をしないと何も始まらない。「みんな何が見える?」「赤、青、黄・・・」といったような造形要素的な部分のやりとりではなく、その前にもっと伝えたいことがあります。どちらかといえば、目に観て取れる造形的な要素から入っていくよりも、表現されたそのものをみてとることから入っていく方法をとっている。エジュケーターが「教える」よりも作品を先に知ったものを「伝える」立場だとすると、話さなければいけないことがある』
(美術教育における美術館と中学校の連携・全博協 研究紀要 第17号 2014年)
とある。
もちろん美術館の『目的』によって取り組みは様々。
このリサーチをまとめられた方も確か結論として書いていたと思うが、
そもそも美術館教育の目的や概念が違う。
このコメントから察するには、
森美術館はおそらく“美術教育”のための教育が目的であり、
ガードナー美術館は“芸術を通した教育”が目的であり、
アクティブラーニングを目標としてる。
ただ個人的にはこのコメントからは
VTSの意図が理解されていないと感じる。
そもそもガードナー美術館でもVTSというのは教育コンセプトの基礎
として置かれているものであり、情報を伝えないのではない。
“伝え方”が違うだけ。
教育において情報は与えるタイミングが大事ということをとても意識している。
『何を』伝えたいか、だけではなく、
『どう』伝えられるか、『なぜ』伝えるのか。
その情報を与えることでどうなって欲しいのか。
『どうしたら』伝えたいことが生徒の中により残る教育ができるのか。
「赤色が多く使われている」などの一見ただ表面的な意見でも、
まずはそれが現段階で生徒が気がつくこと、説明できることであるということも理解する必要がある。
それにそれって何か間違った意見でもなければ、つまらない意見でもないじゃん?
『赤が多い』ってことはアーティストの
『色の選択や使い方』に気がついてるってことでしょ?
アーティストがなぜ赤を多く使用したのかは、
“表現したそのもの”や、感情、スタイルには繋がらないのかな?
VTSのコンセプトにおいて、意見はただ聞くのではなく、
『ファシリテート』するから意味があるのだ。

アーティストの想いや時代背景が分からないと作品が分からないのではなく、
それが目に見える形で表現されているのが作品でしょ?
だから情報よりもまずは深い鑑賞を促しているのだ。
それがVTSの基本であり、情報はそれを更に深めるためのツールとして捉えている。
対話を通し、学生たちリードで、質問ベースで行うというのは、
一方的に情報を与えるツアーよりも難しい。
グループが変われば意見も変わるし、自分の気がつかなかったことや、
答えを知らない質問もでてくる。
でも、自分の『知っていること』が全てじゃない。
だから芸術っておもしろいんじゃないのかな?