2017年12月20日
2017年12月20日
オープンクエスチョン
教育の在り方についてずっと続いている議論の一つは、
学校教育の目的がテストでいい点をとることになっていて、
実社会で必要な能力と離れてきたということ。
学校で実際にやっていることは『情報のインプット』がほとんどで、
暗記力を鍛えている時間が多い。
でも社会にでたらアイディアをアウトプットをしていかなきゃいけない。
『自分の価値を提供』していかなきゃいけない。
新たなテクノロジーの目まぐるしい発展で、
生活も、仕事も、働き方も変わった。
そして昔と違って現代のテクノロジーの発展はスピードがハンパない。
僕たちが経験してきたものよりも、どんどん更に早くなる。
もう10年後には今は存在していない仕事なども多くあるという。
スマホの普及からだけでも、『情報の価値』も大きく変わった。
その中で生きていかないといけないのが次の世代の子供達。
そしてその次世代の子供達が教育をしていかないといけないのが、
更に移り変わるであろう、その次の世代の子供達。
今の子供達が、次の世代にどういう学び方、生き方を示していけるのかのキーは
今の時代の教育が大きく関わる。
でもどうして学校教育の在り方はなかなか変わらないんだろう?
変わりゆく社会に出ても、そこで力強く生きていけることが目的でないのなら、
何のための、誰のための教育システムなんだろう?
よく耳にする『アクティブラーニング』の要素としてあるのが
オープンクエスチョン。
開かれた質問?どゆこと?
逆にClosed questionを考えてみると分かりやすいかも。
クローズしている質問は、
それに対する答えが単純にYES or NOであったり、特にそれ以上発展をしないもの。
なのでオープンクエスチョンは、質問に対しての答えがいっぱい考えられるもの。
答える人によって様々な可能性があり、そこから更に会話が広がっていく質問。
質問に対してより考え、疑問がでてきたり、自分の視点からだからこそでてくる意見。
想像を促したり、物事をより詳細に観察する必要もでてくるかもしれない。
答えを知ってるか知らないかでなく、自分の考えは何か。
そして何故そう思うのか。
こういう質問がでてくる授業ってどういうのがあっただろう?
色んな形のオープンクエスチョンがあるともうけど、芸術鑑賞からもいっぱいできる。
というか芸術鑑賞は自分の意見を言う練習にはもってこいじゃないかと思う。
だって、アートを経験するのに最初から正しいも間違いもないから。
体験する人がどう捉え、どう感じ、何を思うのか。
最終的にはそこに尽きるものだと思うから、どんな意見だって間違いじゃない。
例えばこの絵からどんなオープンクエスチョンが考えられるだろう?

(St George Slaying The Doragon, Crivelli,1470, Isabella Gardner Museum )
一つはVisual Thinking Strategyの基礎である
『What’s going on in this picture?』
絵の中で『何が起こっているか』の捉え方は様々だ。
あとはどんなのがあるだろな? うーん。
ドラゴンはこの人に向かって何て言ってると思う?
馬は何を言ってると思う?
背景にいる人は何を考えているだろう?
この人はどういう気持ちでドラゴンと戦っているだろう?
どうしてこの人はドラゴンを殺そうとしてるんだろう?
この場面の後何が起こるだろう?
なぜ一人だけ後ろに人がいるんだろう?
もし背景が金色じゃなくて真っ赤だったら何が変わるだろう?
もし背景が広大な砂漠だったら。。?
もしドラゴンじゃなくて、猫だったら。。?
もしドラゴンがもっと巨大だったら。。?
これにタイトルをつけるなら?
目的は正しい答えを導きだすことではなく、『考えることを促す』ことなので、
質問者側は回答者が『どういう考え方』をすることになるか考えてみる。
上にパっと書いてみたことでもおそらく
観察力・考察力
視点を変えて見る・別の立場から考えること
想像力
比較して考えること
更なる疑問をもつこと
などはいってくるだろう。
そして、基本全てに対して『何故そう思うのか』のフォローアップをすることで、
自分なりの解釈の理由がついてくる。
結果的な答え以上に、答えに行き着くまでの過程が
アクティブラーニングの基本で、それを手助けするのがファシリテーターであればいい。
例えば、
『もしこのドラゴンがもっと巨大だったら?』

ただの想像力だけではなく、『象徴』についての考えが加わったり、
アーティストからの視点、表現方法、哲学的な視点など、
グループでアイディアを出し合うことで、質問や考えはどんどん広がっていきうる。
(ブツブツ独り言ブレインストーミング。。。↓)
そもそも空想の絵なんだろうか?
それとも元のストーリーがあるのかな?
このストーリーのドラゴンって”どういう存在“なんだろう?
殺されてるってことは”悪い存在”の象徴?
何をしたから悪いんだろう?
悪い存在、良い存在って絵の何を見ての印象からくるのだろう?
もしこの絵が
『涙を流しながら自分の子供を守っている小さなドラゴンに対して、トドメをさす人間』
『貧しそうな人が既に苦しんでいるところに剣を振りかざす、馬に乗った豪華な服を着た人』
とかだったら印象はどうだろう?
騎士側が今度は金持ちの独裁者とかに見えて、”悪い存在“に見えないだろうか?
もしそうなら、自分が”悪い存在“と決めているのは、
”剣の振り下ろされた先にあるもの(人・動物など)と、その結果“によって代わっている?
剣の先にあるものを殺害する行為が、良い悪いって誰からの道徳観?
悪から見たら、正義という存在が悪なんじゃないの・・・?
じゃあ正義ってなんだろう?
もう一度、ドラゴンの立場からじっくり見て、
この絵の『正義について』ストーリーを考えてみよう。
反対に『人間の立場からの正義』のストーリーを考えてみよう。
これが『芸術』の授業の形の一つであっていいと思う。
これは僕が書きながらブツブツ言ってるだけだけど、
でも例えばこの場合でも、この一つの絵の深い鑑賞から、
1. 想像力を使い(もし〜だったら。。)、
2. コンセプトをたてて考え(正義)、
3. 表現方法を比較し(『正義』が表現されているもの、ポスター、映画、漫画、アニメなどの研究)
4. 表現してみる
・絵から正義をテーマにストーリーを書く
・ショートフィルムにしてみる
・自分なりの『正義の形』を写真にしてみる
・正義の味方のテーマソング・悪役のテーマソングの違いを表現 etc..
5. 個人や、グループで形にしたものをプレゼンテーションする。
6. 他のグループや先生との質疑応答をする
など、
『美術の知識』(インプット)がなくても、
これが芸術の授業であっておかしいことがあるだろうか?
まずはよく観察し考察することから気がつくこと。
教えてもらうのは簡単だけど、自ら気がつくのが難しい。
逆にこの絵についての『事実』を教え、
これは誰の絵でどういうストーリーですか?ってテストして、何の役に立つんだろう?
結局ただの「記憶力」の問題になる。
芸術のマスタークラスやアートヒストリーの授業とかならまだしも(?)
それ以外のほとんどの場合、それ暗記して何になるの?
忘れたって、実社会でもしその情報が必要になれば
ググれば分かるわけだし・・・
それだったら、どういう検索方法があるのか、その情報源は信用できるのか、
異なる視点からの意見がある中で、どうして自分はその情報を選ぶのかを考えられる力をつける方が大事なんではないだろうか?
ちなみに、同じテーマ(St. George And The Dragon) で書かれている絵はいっぱいあるのだけど、
僕が見つけた限りは殆どがドラゴンの方が馬よりも小さく描かれている。
オリジナルのストーリーにも何故かは特に書かれていないようだし、
Art Educationでハーバード大学院を卒業している僕のガードナー美術館の先生たちも、
それ考えたことなかったな。どうしてだろうね?って一緒にちょっと考えてみた。
『明確な答え』はそもそもないのかもしれない。
でも『調べてみたい』と思い動き、考えるプロセスがアクティブラーニング
学校教育の目的がテストでいい点をとることになっていて、
実社会で必要な能力と離れてきたということ。
学校で実際にやっていることは『情報のインプット』がほとんどで、
暗記力を鍛えている時間が多い。
でも社会にでたらアイディアをアウトプットをしていかなきゃいけない。
『自分の価値を提供』していかなきゃいけない。
新たなテクノロジーの目まぐるしい発展で、
生活も、仕事も、働き方も変わった。
そして昔と違って現代のテクノロジーの発展はスピードがハンパない。
僕たちが経験してきたものよりも、どんどん更に早くなる。
もう10年後には今は存在していない仕事なども多くあるという。
スマホの普及からだけでも、『情報の価値』も大きく変わった。
その中で生きていかないといけないのが次の世代の子供達。
そしてその次世代の子供達が教育をしていかないといけないのが、
更に移り変わるであろう、その次の世代の子供達。
今の子供達が、次の世代にどういう学び方、生き方を示していけるのかのキーは
今の時代の教育が大きく関わる。
でもどうして学校教育の在り方はなかなか変わらないんだろう?
変わりゆく社会に出ても、そこで力強く生きていけることが目的でないのなら、
何のための、誰のための教育システムなんだろう?
よく耳にする『アクティブラーニング』の要素としてあるのが
オープンクエスチョン。
開かれた質問?どゆこと?
逆にClosed questionを考えてみると分かりやすいかも。
クローズしている質問は、
それに対する答えが単純にYES or NOであったり、特にそれ以上発展をしないもの。
なのでオープンクエスチョンは、質問に対しての答えがいっぱい考えられるもの。
答える人によって様々な可能性があり、そこから更に会話が広がっていく質問。
質問に対してより考え、疑問がでてきたり、自分の視点からだからこそでてくる意見。
想像を促したり、物事をより詳細に観察する必要もでてくるかもしれない。
答えを知ってるか知らないかでなく、自分の考えは何か。
そして何故そう思うのか。
こういう質問がでてくる授業ってどういうのがあっただろう?
色んな形のオープンクエスチョンがあるともうけど、芸術鑑賞からもいっぱいできる。
というか芸術鑑賞は自分の意見を言う練習にはもってこいじゃないかと思う。
だって、アートを経験するのに最初から正しいも間違いもないから。
体験する人がどう捉え、どう感じ、何を思うのか。
最終的にはそこに尽きるものだと思うから、どんな意見だって間違いじゃない。
例えばこの絵からどんなオープンクエスチョンが考えられるだろう?

(St George Slaying The Doragon, Crivelli,1470, Isabella Gardner Museum )
一つはVisual Thinking Strategyの基礎である
『What’s going on in this picture?』
絵の中で『何が起こっているか』の捉え方は様々だ。
あとはどんなのがあるだろな? うーん。
ドラゴンはこの人に向かって何て言ってると思う?
馬は何を言ってると思う?
背景にいる人は何を考えているだろう?
この人はどういう気持ちでドラゴンと戦っているだろう?
どうしてこの人はドラゴンを殺そうとしてるんだろう?
この場面の後何が起こるだろう?
なぜ一人だけ後ろに人がいるんだろう?
もし背景が金色じゃなくて真っ赤だったら何が変わるだろう?
もし背景が広大な砂漠だったら。。?
もしドラゴンじゃなくて、猫だったら。。?
もしドラゴンがもっと巨大だったら。。?
これにタイトルをつけるなら?
目的は正しい答えを導きだすことではなく、『考えることを促す』ことなので、
質問者側は回答者が『どういう考え方』をすることになるか考えてみる。
上にパっと書いてみたことでもおそらく
観察力・考察力
視点を変えて見る・別の立場から考えること
想像力
比較して考えること
更なる疑問をもつこと
などはいってくるだろう。
そして、基本全てに対して『何故そう思うのか』のフォローアップをすることで、
自分なりの解釈の理由がついてくる。
結果的な答え以上に、答えに行き着くまでの過程が
アクティブラーニングの基本で、それを手助けするのがファシリテーターであればいい。
例えば、
『もしこのドラゴンがもっと巨大だったら?』

ただの想像力だけではなく、『象徴』についての考えが加わったり、
アーティストからの視点、表現方法、哲学的な視点など、
グループでアイディアを出し合うことで、質問や考えはどんどん広がっていきうる。
(ブツブツ独り言ブレインストーミング。。。↓)
そもそも空想の絵なんだろうか?
それとも元のストーリーがあるのかな?
このストーリーのドラゴンって”どういう存在“なんだろう?
殺されてるってことは”悪い存在”の象徴?
何をしたから悪いんだろう?
悪い存在、良い存在って絵の何を見ての印象からくるのだろう?
もしこの絵が
『涙を流しながら自分の子供を守っている小さなドラゴンに対して、トドメをさす人間』
『貧しそうな人が既に苦しんでいるところに剣を振りかざす、馬に乗った豪華な服を着た人』
とかだったら印象はどうだろう?
騎士側が今度は金持ちの独裁者とかに見えて、”悪い存在“に見えないだろうか?
もしそうなら、自分が”悪い存在“と決めているのは、
”剣の振り下ろされた先にあるもの(人・動物など)と、その結果“によって代わっている?
剣の先にあるものを殺害する行為が、良い悪いって誰からの道徳観?
悪から見たら、正義という存在が悪なんじゃないの・・・?
じゃあ正義ってなんだろう?
もう一度、ドラゴンの立場からじっくり見て、
この絵の『正義について』ストーリーを考えてみよう。
反対に『人間の立場からの正義』のストーリーを考えてみよう。
これが『芸術』の授業の形の一つであっていいと思う。
これは僕が書きながらブツブツ言ってるだけだけど、
でも例えばこの場合でも、この一つの絵の深い鑑賞から、
1. 想像力を使い(もし〜だったら。。)、
2. コンセプトをたてて考え(正義)、
3. 表現方法を比較し(『正義』が表現されているもの、ポスター、映画、漫画、アニメなどの研究)
4. 表現してみる
・絵から正義をテーマにストーリーを書く
・ショートフィルムにしてみる
・自分なりの『正義の形』を写真にしてみる
・正義の味方のテーマソング・悪役のテーマソングの違いを表現 etc..
5. 個人や、グループで形にしたものをプレゼンテーションする。
6. 他のグループや先生との質疑応答をする
など、
『美術の知識』(インプット)がなくても、
これが芸術の授業であっておかしいことがあるだろうか?
まずはよく観察し考察することから気がつくこと。
教えてもらうのは簡単だけど、自ら気がつくのが難しい。
逆にこの絵についての『事実』を教え、
これは誰の絵でどういうストーリーですか?ってテストして、何の役に立つんだろう?
結局ただの「記憶力」の問題になる。
芸術のマスタークラスやアートヒストリーの授業とかならまだしも(?)
それ以外のほとんどの場合、それ暗記して何になるの?
忘れたって、実社会でもしその情報が必要になれば
ググれば分かるわけだし・・・
それだったら、どういう検索方法があるのか、その情報源は信用できるのか、
異なる視点からの意見がある中で、どうして自分はその情報を選ぶのかを考えられる力をつける方が大事なんではないだろうか?
ちなみに、同じテーマ(St. George And The Dragon) で書かれている絵はいっぱいあるのだけど、
僕が見つけた限りは殆どがドラゴンの方が馬よりも小さく描かれている。
オリジナルのストーリーにも何故かは特に書かれていないようだし、
Art Educationでハーバード大学院を卒業している僕のガードナー美術館の先生たちも、
それ考えたことなかったな。どうしてだろうね?って一緒にちょっと考えてみた。
『明確な答え』はそもそもないのかもしれない。
でも『調べてみたい』と思い動き、考えるプロセスがアクティブラーニング

2017年12月04日
テーマから考える
今回高校生にフォーカスを当てて授業をする中で、
ICA (Institute of Contemporary Art)からゲストスピーカーが来てくれた。
ICAはボストンにあるコンテンポラリーアート美術館で、
教育プログラムとしては特に10代、高校生へフォーカスを当てているらしい。
ボストンのパブリックスクールでも芸術の授業に関して、問題は多いよう。
生徒の40%は学校で芸術と触れる機会がないらしい。
また芸術の先生はいてクラスがあっても、
人数が少ないため実際にアートクラスを受けられる生徒にも限りがある。
更にあまり裕福でない地域になると、バレーを見に行ったり、美術館に行ったり、学校外で芸術と関わることもさらに少なくなる。そのため美術館と自分との距離もさらに広がっていってしまう。
そこでICAは、
ボストンの中でも貧困層の多いいくつかの地域に特に重心をおいてプログラムを行なっているよう。
ボストンはアメリカの中でも学術都市で教育水準は高く、経済的にも栄えてるし、桁外れのお金持ちもいっぱいいて、ボーディングスクールなどリッチな学校も多くある。僕が前回仕事で訪れた高校はもう全員がパソコンを持っていて、学校は来年からは親にiPadを準備してもらおうかどうか考えてる、みたいなことを言ってたな。
その一方で、鉛筆を買うのも大変な学校も多くあり、そういう地域は学生の退学率なども高くなる。
ボストンの中でも格差がかなり大きいという事実だ。
ICAが特に的を絞っているのはそういう背景がある。
高校生の生徒を募ってコミッティを立ち上げ、ツアーなども含め学生たちと一緒に考えてもらい、
学生たちからフィードバックをもらっている。美術館の運営の『内側』に入って貰って、自主的に考えるというものみたい。
ガードナーの場合は学校の先生たちへのトレーニングセッションも行っていて、VTSなどの色々な鑑賞方法を通して自分と作品とのコネクションを見つけることで、生徒たちに芸術を身近なものに感じてもらおうとしている。そして授業の一環として美術館を訪れてもらい、美術館という場所の考え方を柔らかくできないかなーと頑張っている。

(The Institute of Contemporary Art, Boston)
高校生への美術館教育・ツアーに関しての授業のまとめとしては、
『融通性の大切さ』
授業などもだけど、全部しっかりプラン立てたからその通りにやらなきゃ!だけでなく、その場の生徒たちの興味関心に気がつくこと。そこから引き出せることがあるのなら、自分が柔軟に対応する。
大きな目的は「プラン通りに案内を進める」ことではなく、
「この一連の経験を通して生徒がどう成長できるのか」なんだから。
『反応がない=興味がない』ではない。
美術館ツアーでも、生徒全員が目を見張って興味を示すわけはなく、
当然そっぽを向いてたり友達を話しをしだす子も出てくる。
美術館自体が多くの生徒にとっては「安心できる場所」ではない。
じっくり見てみようと言われても、近づき過ぎるなとも言われるし、高価そうなものばかり。
多くの生徒は自分とは違う世界の建物のように感じる。
「つまらないよね」だとしても、友達を話してお互いの感覚を共有することで安心を得ていたり、
アートというよくわからないことについて先生から質問がこないように避けていたり。
そのため、まずは学生たちとの『関係性作り』が大事になる。
芸術をみるのに何も『正しいも間違いもない』という共通意識を持ち、
お互いが話しやすい環境にできればベストだ。
そしてエキスパートとして話すよりも、
『自分も一緒に学んでいる』という姿勢を忘れないこと。
でもこれは高校生相手でなくても、僕は常にもっておきたいこと。
自分も学んでるんだから、失敗も含めて一緒に経験して、一緒に考えたい。
教えるというよりは『自分の経験をシェア』する感覚。
授業だって、「もっとこうするのはどう?」なんて生徒から出てくるなら歓迎だ。
もちろんただ受け入れるのではなく、どうしてそっちの方がより学べると思うのか、みんなで一緒に考たほうが楽しい。
そして、一般的に高校生くらいが特に興味を持ち出すトピックとして
『Power』と『Identity』があがった。
政治、先生と生徒、お金などのパワーバランスについて。今であれば大統領の話題など。
自己に関わることとしてはアメリカでは自分の「人種」も関わってくる。
Black lives matterや、Free speech(最近の白人主義の動き)など、
複雑な問題と自分のアイデンティティなど特に考え出す年頃みたい。

そういう『テーマ』を元に鑑賞をしてみてもいい。
例えば色んな人のポートレートを使って、『パワー』について考える。

(Thomas Howard, Earl of Arundel - Peter Paul Rubens, about 1629-1630, Isabella Gardner Museum)
ー どうしてこの人はこういう風に描いて貰ったんだろう?(“自分”ってどういう人?)
ー どういう力を持っているんだろう?(富、名声、プライド、技術,etc)
ー 絵のどこからそれがみて取れるだろう?(背景、小物、表情、衣服、etc)
ー 自分が持ちたいパワーはどのポートレートと似ている?
ー 誰かに力を貸してもらうなら、どの人?
ー これらのポートレートを、今の社会に当てはめるならどういう人たち?
などなど。もちろん質問の後には「なぜ?」「どうしてそう思う?」がついてくる。
自分が高校生の時って何考えてたんだろな。
ICA (Institute of Contemporary Art)からゲストスピーカーが来てくれた。
ICAはボストンにあるコンテンポラリーアート美術館で、
教育プログラムとしては特に10代、高校生へフォーカスを当てているらしい。
ボストンのパブリックスクールでも芸術の授業に関して、問題は多いよう。
生徒の40%は学校で芸術と触れる機会がないらしい。
また芸術の先生はいてクラスがあっても、
人数が少ないため実際にアートクラスを受けられる生徒にも限りがある。
更にあまり裕福でない地域になると、バレーを見に行ったり、美術館に行ったり、学校外で芸術と関わることもさらに少なくなる。そのため美術館と自分との距離もさらに広がっていってしまう。
そこでICAは、
ボストンの中でも貧困層の多いいくつかの地域に特に重心をおいてプログラムを行なっているよう。
ボストンはアメリカの中でも学術都市で教育水準は高く、経済的にも栄えてるし、桁外れのお金持ちもいっぱいいて、ボーディングスクールなどリッチな学校も多くある。僕が前回仕事で訪れた高校はもう全員がパソコンを持っていて、学校は来年からは親にiPadを準備してもらおうかどうか考えてる、みたいなことを言ってたな。
その一方で、鉛筆を買うのも大変な学校も多くあり、そういう地域は学生の退学率なども高くなる。
ボストンの中でも格差がかなり大きいという事実だ。
ICAが特に的を絞っているのはそういう背景がある。
高校生の生徒を募ってコミッティを立ち上げ、ツアーなども含め学生たちと一緒に考えてもらい、
学生たちからフィードバックをもらっている。美術館の運営の『内側』に入って貰って、自主的に考えるというものみたい。
ガードナーの場合は学校の先生たちへのトレーニングセッションも行っていて、VTSなどの色々な鑑賞方法を通して自分と作品とのコネクションを見つけることで、生徒たちに芸術を身近なものに感じてもらおうとしている。そして授業の一環として美術館を訪れてもらい、美術館という場所の考え方を柔らかくできないかなーと頑張っている。

(The Institute of Contemporary Art, Boston)
高校生への美術館教育・ツアーに関しての授業のまとめとしては、
『融通性の大切さ』
授業などもだけど、全部しっかりプラン立てたからその通りにやらなきゃ!だけでなく、その場の生徒たちの興味関心に気がつくこと。そこから引き出せることがあるのなら、自分が柔軟に対応する。
大きな目的は「プラン通りに案内を進める」ことではなく、
「この一連の経験を通して生徒がどう成長できるのか」なんだから。
『反応がない=興味がない』ではない。
美術館ツアーでも、生徒全員が目を見張って興味を示すわけはなく、
当然そっぽを向いてたり友達を話しをしだす子も出てくる。
美術館自体が多くの生徒にとっては「安心できる場所」ではない。
じっくり見てみようと言われても、近づき過ぎるなとも言われるし、高価そうなものばかり。
多くの生徒は自分とは違う世界の建物のように感じる。
「つまらないよね」だとしても、友達を話してお互いの感覚を共有することで安心を得ていたり、
アートというよくわからないことについて先生から質問がこないように避けていたり。
そのため、まずは学生たちとの『関係性作り』が大事になる。
芸術をみるのに何も『正しいも間違いもない』という共通意識を持ち、
お互いが話しやすい環境にできればベストだ。
そしてエキスパートとして話すよりも、
『自分も一緒に学んでいる』という姿勢を忘れないこと。
でもこれは高校生相手でなくても、僕は常にもっておきたいこと。
自分も学んでるんだから、失敗も含めて一緒に経験して、一緒に考えたい。
教えるというよりは『自分の経験をシェア』する感覚。
授業だって、「もっとこうするのはどう?」なんて生徒から出てくるなら歓迎だ。
もちろんただ受け入れるのではなく、どうしてそっちの方がより学べると思うのか、みんなで一緒に考たほうが楽しい。
そして、一般的に高校生くらいが特に興味を持ち出すトピックとして
『Power』と『Identity』があがった。
政治、先生と生徒、お金などのパワーバランスについて。今であれば大統領の話題など。
自己に関わることとしてはアメリカでは自分の「人種」も関わってくる。
Black lives matterや、Free speech(最近の白人主義の動き)など、
複雑な問題と自分のアイデンティティなど特に考え出す年頃みたい。

そういう『テーマ』を元に鑑賞をしてみてもいい。
例えば色んな人のポートレートを使って、『パワー』について考える。

(Thomas Howard, Earl of Arundel - Peter Paul Rubens, about 1629-1630, Isabella Gardner Museum)
ー どうしてこの人はこういう風に描いて貰ったんだろう?(“自分”ってどういう人?)
ー どういう力を持っているんだろう?(富、名声、プライド、技術,etc)
ー 絵のどこからそれがみて取れるだろう?(背景、小物、表情、衣服、etc)
ー 自分が持ちたいパワーはどのポートレートと似ている?
ー 誰かに力を貸してもらうなら、どの人?
ー これらのポートレートを、今の社会に当てはめるならどういう人たち?
などなど。もちろん質問の後には「なぜ?」「どうしてそう思う?」がついてくる。
自分が高校生の時って何考えてたんだろな。