2018年09月01日
いま必要な能力
対話型鑑賞(Visual Thinking Strategy ) について、
「いま必要な能力」と先日朝日新聞で取り上げられていたよう。
MoMAで約30年前から始まり、
ボストンのガードナー美術館が研究や実践を今でもリードしてきている鑑賞法で、
芸術を通してコミュニケーションスキルや考える力を伸ばしていこうというもの。

ガードナー美術館は2年に1度15人生徒を募集し、対話型鑑賞を基礎とする1年間の美術館教育のコースを行なっていて、このコースを通った上で、先生から合格を貰えれば、ガードナー美術館での教育ツアーを担当する先生になることができる。
去年から僕もクラスに入れてもらうことができ、ここ1年間ガードナー美術館に通い勉強してきた。
僕は美術教育を受けたことがあるわけでもなかったけど、
でもハッキリとこのクラスを受けたい理由と、
今僕が受けるべき教育がココにあると確信もあった。
全てガードナー美術館が出資している授業なので、授業料はゼロというのも有り難かった!
先日先生に僕のツアーを見てもらい、一つ目の合格を貰い、
あと一つツアーを1人で担当し、合格をもらえれば正式にガードナー美術館でのMuseum Teacherとなる。
今回は美術館としてもこれまで特に苦戦してきている日本の大学生たちへのセッションだったので、英語と日本語を混ぜて行った。
何故日本からの学生に対してガードナー美術館が苦戦してきているかというと、
「意見を言えない」学生が多いからだ。
意見がないわけではない。
英語でそれが言えないわけでもない。
今回は通訳までついていた。
それでも自分の考えを『言えない』
自分の考えはクダラナイかも、期待されてる答えじゃないかも。。
と恐れ意見がでない。
対話にそもそも参加ができない。
グループからのコメントや質問を基に、対話を基礎に進めて行くので、
どれだけ準備していっても、知識だけ詰め込んで行っても思い通りに行くわけではないし、ナビゲートする側にも、柔軟性と考える力を要求される。
でも答えのないオープンな質問に対して、ただだんまりを決め込み、
考えることを避け、答えを待つ多くの日本人の学生たちが相手になると
そもそもスタートラインに立てなく苦戦してきている。
これまでのMuseum Teacherは日本人グループに対しては
「文化の違いかも。。英語が難しいからかも・・」とどこまで対話を勧めていいのかが判断しにくかったのだが、僕から見るとこれはこれまでの教育の弊害に他ならない。
この様子は見ていて本当に危機さえ感じる。
今客観的にみると、異常なまでの集団心理から『出る杭』になることを恐れ、お互いの足を引っ張り合い、自由に意見を言えず、共有することで広がるはずのアイディアを押し殺してきているようにさえ見える。
芸術鑑賞にしても、『知る』ことに重きを置きすぎ、
『見る』『感じる』『考える』というより大切な過程をスキップしている。
僕も自身でも学びながら、このメソッドを基にボストンのリーダーシッププログラムでも行なっていたり、また新しいことをドンドン本気で挑戦する今アツイ『札幌新陽高校』との提携で美術のクラスとして行なってきている。

(GPI Boston Leadership Programにて、開智高校の生徒と芸術を通して考えているとこ)
音楽 x 写真 x 美術 x 英語 x コミュニケーション x リーダーシップ x エンパワメント
など、これまで学び経験してきていることに、僕の背骨でもある『教育』を掛け合わせ、
これから日本でのセッションももっと増やしていこうと思っている。
これまで多くが『正しい答え』を学ぶことが基礎であった日本での教育にも、
そもそも『答えのない芸術』を取り入れることで、感じること、そして自らの頭で考え、表現する力を養う機会を増やしていきたい。
すでに世界と向かい合うことが当たり前になっている社会において、
『いま必要な能力』は何なのか。
教育において必要とは言われ続けつつも、このメソッドももう30年近く前から言われてきていること。『アクティブラーニング』も最近の話なんかではない。
これまでの教育の賜物である若い学生と向かい合いながら、
挑戦や失敗を恐れているのは子供なのか、それとも大人なのか。
改めて考えさせられる夏だった。
「いま必要な能力」と先日朝日新聞で取り上げられていたよう。
MoMAで約30年前から始まり、
ボストンのガードナー美術館が研究や実践を今でもリードしてきている鑑賞法で、
芸術を通してコミュニケーションスキルや考える力を伸ばしていこうというもの。

ガードナー美術館は2年に1度15人生徒を募集し、対話型鑑賞を基礎とする1年間の美術館教育のコースを行なっていて、このコースを通った上で、先生から合格を貰えれば、ガードナー美術館での教育ツアーを担当する先生になることができる。
去年から僕もクラスに入れてもらうことができ、ここ1年間ガードナー美術館に通い勉強してきた。
僕は美術教育を受けたことがあるわけでもなかったけど、
でもハッキリとこのクラスを受けたい理由と、
今僕が受けるべき教育がココにあると確信もあった。
全てガードナー美術館が出資している授業なので、授業料はゼロというのも有り難かった!
先日先生に僕のツアーを見てもらい、一つ目の合格を貰い、
あと一つツアーを1人で担当し、合格をもらえれば正式にガードナー美術館でのMuseum Teacherとなる。

今回は美術館としてもこれまで特に苦戦してきている日本の大学生たちへのセッションだったので、英語と日本語を混ぜて行った。
何故日本からの学生に対してガードナー美術館が苦戦してきているかというと、
「意見を言えない」学生が多いからだ。
意見がないわけではない。
英語でそれが言えないわけでもない。
今回は通訳までついていた。
それでも自分の考えを『言えない』
自分の考えはクダラナイかも、期待されてる答えじゃないかも。。
と恐れ意見がでない。
対話にそもそも参加ができない。
グループからのコメントや質問を基に、対話を基礎に進めて行くので、
どれだけ準備していっても、知識だけ詰め込んで行っても思い通りに行くわけではないし、ナビゲートする側にも、柔軟性と考える力を要求される。
でも答えのないオープンな質問に対して、ただだんまりを決め込み、
考えることを避け、答えを待つ多くの日本人の学生たちが相手になると
そもそもスタートラインに立てなく苦戦してきている。
これまでのMuseum Teacherは日本人グループに対しては
「文化の違いかも。。英語が難しいからかも・・」とどこまで対話を勧めていいのかが判断しにくかったのだが、僕から見るとこれはこれまでの教育の弊害に他ならない。
この様子は見ていて本当に危機さえ感じる。
今客観的にみると、異常なまでの集団心理から『出る杭』になることを恐れ、お互いの足を引っ張り合い、自由に意見を言えず、共有することで広がるはずのアイディアを押し殺してきているようにさえ見える。
芸術鑑賞にしても、『知る』ことに重きを置きすぎ、
『見る』『感じる』『考える』というより大切な過程をスキップしている。
僕も自身でも学びながら、このメソッドを基にボストンのリーダーシッププログラムでも行なっていたり、また新しいことをドンドン本気で挑戦する今アツイ『札幌新陽高校』との提携で美術のクラスとして行なってきている。

(GPI Boston Leadership Programにて、開智高校の生徒と芸術を通して考えているとこ)
音楽 x 写真 x 美術 x 英語 x コミュニケーション x リーダーシップ x エンパワメント
など、これまで学び経験してきていることに、僕の背骨でもある『教育』を掛け合わせ、
これから日本でのセッションももっと増やしていこうと思っている。
これまで多くが『正しい答え』を学ぶことが基礎であった日本での教育にも、
そもそも『答えのない芸術』を取り入れることで、感じること、そして自らの頭で考え、表現する力を養う機会を増やしていきたい。
すでに世界と向かい合うことが当たり前になっている社会において、
『いま必要な能力』は何なのか。
教育において必要とは言われ続けつつも、このメソッドももう30年近く前から言われてきていること。『アクティブラーニング』も最近の話なんかではない。
これまでの教育の賜物である若い学生と向かい合いながら、
挑戦や失敗を恐れているのは子供なのか、それとも大人なのか。
改めて考えさせられる夏だった。
2018年06月02日
ガードナー美術館教育ツアー
カナダのモントリオールからガードナー美術館に来た中高校生たちにツアーを行った。
モントリオールからということで、
第一言語はフランス語、第二言語が英語だそう。
ガードナー美術館での学生ツアーは、
『一方的に情報を与え続ける』という教育はしない。
Open Questionやグループでの会話を通しながら情報を入れていく。
今回はGardner Museum のGothic Roomという部屋からツアーを始めた。
今回は学生たちも英語が第二言語であったこともあり、
自分が日本人であることなども含め自己紹介をしたあと、
僕は自分はこの美術館はとても『ユニーク』だと思うと自分の感想を述べ、
生徒たちに部屋全体を見回してみてもらい
『気がつくことや思うことを一言で表すと何?』
とだけ投げかけてみた。

(Gothic Room / Isabella Gardner Museum )
例えば『部屋が暗い』という意見があった。
This room is kind of dark...
ー どうしてそんなに明るくないと感じる?(できれば言い換えも使う)
Yea true. What makes us feel this room is not well lit? ( Response with paraphrase )
ー 部屋に電気がほとんど付いてなくて、外からの光だけだから。(もう一つ深い考察と理由)
I don’t see much lights inside the room but more from window. ( observation and reasoning)
ー 実はこの美術館は全体通して自然光を使っているんだけど、それもイザベラの計画の一つだったんだよ。(美術館のライティングに関しての情報)
This museum uses natural light as a main source of light, and it was something Isabella did on purpose. (Information)
ー でもそしたら作品が見にくいんじゃない? (疑問)
But them, isn’t it not easy to see the art clearly?? (Question rised from the info)
ー この美術館の展示物は全てイザベラ本人がこの美術館の4階に住みながら、時間をかけて意図的に配置したものなんだよ。だから光の当たり具合によって部屋がどう見えるのかも分かっててやったんじゃないかな??(情報)もしそうだとすると、光の入り方と展示の仕方にも関係性があるのかもしれないよね。(鑑賞のキッカケ)
Well, Isabella lived in 4th floor of this museum and arranged every object by herself. (Info) So I assume she knew how the rooms look like with the limited light source. The light might be a hint to why she arranged objects this way.
ツアーの目的によっては、
ー 光の当たり方を意識して、自分ならこの部屋の作品をどうアレンジする?
ー この部屋で自分の一番好きな作品を、自分ならどこへ配置する?
みたいな方向に持っていくのもアリだな。。
まぁ、などど生徒たちの考えなどをもとに、
ガードナー美術館やガードナー夫人についての情報も織り交ぜていく。
これは作品にしてもしかり。
Open Question やVisual Thinking Strategy のコンセプトを元に進めていく。
ガードナー美術館の取り組みについて、日本の森美術館はインタビューで、
『Visual Thinking Strategyは意識して取り入れていません。
対話型鑑賞といっても、鑑賞は対話をしないと何も始まらない。「みんな何が見える?」「赤、青、黄・・・」といったような造形要素的な部分のやりとりではなく、その前にもっと伝えたいことがあります。どちらかといえば、目に観て取れる造形的な要素から入っていくよりも、表現されたそのものをみてとることから入っていく方法をとっている。エジュケーターが「教える」よりも作品を先に知ったものを「伝える」立場だとすると、話さなければいけないことがある』
(美術教育における美術館と中学校の連携・全博協 研究紀要 第17号 2014年)
とある。
もちろん美術館の『目的』によって取り組みは様々。
このリサーチをまとめられた方も確か結論として書いていたと思うが、
そもそも美術館教育の目的や概念が違う。
このコメントから察するには、
森美術館はおそらく“美術教育”のための教育が目的であり、
ガードナー美術館は“芸術を通した教育”が目的であり、
アクティブラーニングを目標としてる。
ただ個人的にはこのコメントからは
VTSの意図が理解されていないと感じる。
そもそもガードナー美術館でもVTSというのは教育コンセプトの基礎
として置かれているものであり、情報を伝えないのではない。
“伝え方”が違うだけ。
教育において情報は与えるタイミングが大事ということをとても意識している。
『何を』伝えたいか、だけではなく、
『どう』伝えられるか、『なぜ』伝えるのか。
その情報を与えることでどうなって欲しいのか。
『どうしたら』伝えたいことが生徒の中により残る教育ができるのか。
「赤色が多く使われている」などの一見ただ表面的な意見でも、
まずはそれが現段階で生徒が気がつくこと、説明できることであるということも理解する必要がある。
それにそれって何か間違った意見でもなければ、つまらない意見でもないじゃん?
『赤が多い』ってことはアーティストの
『色の選択や使い方』に気がついてるってことでしょ?
アーティストがなぜ赤を多く使用したのかは、
“表現したそのもの”や、感情、スタイルには繋がらないのかな?
VTSのコンセプトにおいて、意見はただ聞くのではなく、
『ファシリテート』するから意味があるのだ。

アーティストの想いや時代背景が分からないと作品が分からないのではなく、
それが目に見える形で表現されているのが作品でしょ?
だから情報よりもまずは深い鑑賞を促しているのだ。
それがVTSの基本であり、情報はそれを更に深めるためのツールとして捉えている。
対話を通し、学生たちリードで、質問ベースで行うというのは、
一方的に情報を与えるツアーよりも難しい。
グループが変われば意見も変わるし、自分の気がつかなかったことや、
答えを知らない質問もでてくる。
でも、自分の『知っていること』が全てじゃない。
だから芸術っておもしろいんじゃないのかな?
モントリオールからということで、
第一言語はフランス語、第二言語が英語だそう。
ガードナー美術館での学生ツアーは、
『一方的に情報を与え続ける』という教育はしない。
Open Questionやグループでの会話を通しながら情報を入れていく。
今回はGardner Museum のGothic Roomという部屋からツアーを始めた。
今回は学生たちも英語が第二言語であったこともあり、
自分が日本人であることなども含め自己紹介をしたあと、
僕は自分はこの美術館はとても『ユニーク』だと思うと自分の感想を述べ、
生徒たちに部屋全体を見回してみてもらい
『気がつくことや思うことを一言で表すと何?』
とだけ投げかけてみた。

(Gothic Room / Isabella Gardner Museum )
例えば『部屋が暗い』という意見があった。
This room is kind of dark...
ー どうしてそんなに明るくないと感じる?(できれば言い換えも使う)
Yea true. What makes us feel this room is not well lit? ( Response with paraphrase )
ー 部屋に電気がほとんど付いてなくて、外からの光だけだから。(もう一つ深い考察と理由)
I don’t see much lights inside the room but more from window. ( observation and reasoning)
ー 実はこの美術館は全体通して自然光を使っているんだけど、それもイザベラの計画の一つだったんだよ。(美術館のライティングに関しての情報)
This museum uses natural light as a main source of light, and it was something Isabella did on purpose. (Information)
ー でもそしたら作品が見にくいんじゃない? (疑問)
But them, isn’t it not easy to see the art clearly?? (Question rised from the info)
ー この美術館の展示物は全てイザベラ本人がこの美術館の4階に住みながら、時間をかけて意図的に配置したものなんだよ。だから光の当たり具合によって部屋がどう見えるのかも分かっててやったんじゃないかな??(情報)もしそうだとすると、光の入り方と展示の仕方にも関係性があるのかもしれないよね。(鑑賞のキッカケ)
Well, Isabella lived in 4th floor of this museum and arranged every object by herself. (Info) So I assume she knew how the rooms look like with the limited light source. The light might be a hint to why she arranged objects this way.
ツアーの目的によっては、
ー 光の当たり方を意識して、自分ならこの部屋の作品をどうアレンジする?
ー この部屋で自分の一番好きな作品を、自分ならどこへ配置する?
みたいな方向に持っていくのもアリだな。。

まぁ、などど生徒たちの考えなどをもとに、
ガードナー美術館やガードナー夫人についての情報も織り交ぜていく。
これは作品にしてもしかり。
Open Question やVisual Thinking Strategy のコンセプトを元に進めていく。
ガードナー美術館の取り組みについて、日本の森美術館はインタビューで、
『Visual Thinking Strategyは意識して取り入れていません。
対話型鑑賞といっても、鑑賞は対話をしないと何も始まらない。「みんな何が見える?」「赤、青、黄・・・」といったような造形要素的な部分のやりとりではなく、その前にもっと伝えたいことがあります。どちらかといえば、目に観て取れる造形的な要素から入っていくよりも、表現されたそのものをみてとることから入っていく方法をとっている。エジュケーターが「教える」よりも作品を先に知ったものを「伝える」立場だとすると、話さなければいけないことがある』
(美術教育における美術館と中学校の連携・全博協 研究紀要 第17号 2014年)
とある。
もちろん美術館の『目的』によって取り組みは様々。
このリサーチをまとめられた方も確か結論として書いていたと思うが、
そもそも美術館教育の目的や概念が違う。
このコメントから察するには、
森美術館はおそらく“美術教育”のための教育が目的であり、
ガードナー美術館は“芸術を通した教育”が目的であり、
アクティブラーニングを目標としてる。
ただ個人的にはこのコメントからは
VTSの意図が理解されていないと感じる。
そもそもガードナー美術館でもVTSというのは教育コンセプトの基礎
として置かれているものであり、情報を伝えないのではない。
“伝え方”が違うだけ。
教育において情報は与えるタイミングが大事ということをとても意識している。
『何を』伝えたいか、だけではなく、
『どう』伝えられるか、『なぜ』伝えるのか。
その情報を与えることでどうなって欲しいのか。
『どうしたら』伝えたいことが生徒の中により残る教育ができるのか。
「赤色が多く使われている」などの一見ただ表面的な意見でも、
まずはそれが現段階で生徒が気がつくこと、説明できることであるということも理解する必要がある。
それにそれって何か間違った意見でもなければ、つまらない意見でもないじゃん?
『赤が多い』ってことはアーティストの
『色の選択や使い方』に気がついてるってことでしょ?
アーティストがなぜ赤を多く使用したのかは、
“表現したそのもの”や、感情、スタイルには繋がらないのかな?
VTSのコンセプトにおいて、意見はただ聞くのではなく、
『ファシリテート』するから意味があるのだ。

アーティストの想いや時代背景が分からないと作品が分からないのではなく、
それが目に見える形で表現されているのが作品でしょ?
だから情報よりもまずは深い鑑賞を促しているのだ。
それがVTSの基本であり、情報はそれを更に深めるためのツールとして捉えている。
対話を通し、学生たちリードで、質問ベースで行うというのは、
一方的に情報を与えるツアーよりも難しい。
グループが変われば意見も変わるし、自分の気がつかなかったことや、
答えを知らない質問もでてくる。
でも、自分の『知っていること』が全てじゃない。
だから芸術っておもしろいんじゃないのかな?
2018年03月06日
Mirror & Window
日本から来られているドクターや研究者の方々へ
『芸術を通してお互いのことを良く知ろう』
をテーマにイザベラガードナー美術館でのファシリテーションをさせてもらった。

メインパートはオープンクエスチョンを使った鑑賞。
こちらで用意しておいた、質問が書かれた紙をそれぞれ引いてもらい、
自分の答えと共鳴する作品を部屋の中から探して、
みんなでシェアをしていくというもの。
例えば、『最近自分がハマっていること』。
この質問からまず何を掘り下げて考えるかって、自分自身のこと。
最近の自分は何に夢中になれているだろう?
自分が熱中できることの大切な要素ってなんだろう?
よりクリティカルに自分のことを振り返るキッカケにもなる。
そのテーマや要素を念頭に今一度、部屋を見渡してみる。
数ある作品の中から、何が見えてくるだろう?

(Christ Disputing in the Temple, Isabella Gardner Museum)
どんな要素が作品に入っているか、自分の視点から鑑賞していくことになる。
ここで美術教育としても大切なのは、より深い鑑賞につながっているということ。
作品と自分とのコネクションを見つけることで、より印象に残ることにもなる。
この絵でも、別の質問カードを持っていたドクターの方であれば
『自分の仕事』→ 『多くの人の精神と向かい合う』→『表情から見て取れる精神状態』などから、
この絵に描かれたそれぞれの人の表情に着目し鑑賞した方もいた。
これをグループですることにより、
同じ作品であっても自分にはなかった視点に気がついてくる。
どういう考え方をする人なのかというのも見えてきて面白いし、
お互いの外見や肩書きだけでなく、内面や経験など自然とシェアするキッカケにもなる。
というのが今回の『芸術を通してお互いのことを知る』企画の狙い。
それぞれの考え方や感じ方、性格など、色んな一面が垣間見れて面白かったな。
一般的に美術館を訪れる人が一つの作品にかける鑑賞時間は平均5秒くらいらしい。
また目の前にある作品を鑑賞することよりも、説明を読むことの方により時間がかかっていることも多い。
この作品を見たときにどのくらいの人が、
アーティストが表現したそれぞれの人物の表情の違いにまで注目してみただろう?
美術教育としてだけではなく、教育という大きな観点からみても
自分自身と向かい合い、意見をよりクリティカルな要素に落とし込み、
注意深く観察し、コネクションを考え、自分なりの答えを見出す。
そして自分とは違う視点にもオープンでいることで、新しいアイディアへとも繋がっていく。
という、その過程が大切。
芸術って自分自身を反映する鏡であり、
別の視点・世界を見られる窓みたいなもの。
今だに『情報の暗記』というこれから一番必要のなくなりそうな能力を
ひたすらに鍛えられる学校教育が多い中に、
芸術という答えのないものを積極的に取り入れていければ面白い。
この企画も面白かったので、もっとやっていこうかな
『芸術を通してお互いのことを良く知ろう』
をテーマにイザベラガードナー美術館でのファシリテーションをさせてもらった。

メインパートはオープンクエスチョンを使った鑑賞。
こちらで用意しておいた、質問が書かれた紙をそれぞれ引いてもらい、
自分の答えと共鳴する作品を部屋の中から探して、
みんなでシェアをしていくというもの。
例えば、『最近自分がハマっていること』。
この質問からまず何を掘り下げて考えるかって、自分自身のこと。
最近の自分は何に夢中になれているだろう?
自分が熱中できることの大切な要素ってなんだろう?
よりクリティカルに自分のことを振り返るキッカケにもなる。
そのテーマや要素を念頭に今一度、部屋を見渡してみる。
数ある作品の中から、何が見えてくるだろう?

(Christ Disputing in the Temple, Isabella Gardner Museum)
どんな要素が作品に入っているか、自分の視点から鑑賞していくことになる。
ここで美術教育としても大切なのは、より深い鑑賞につながっているということ。
作品と自分とのコネクションを見つけることで、より印象に残ることにもなる。
この絵でも、別の質問カードを持っていたドクターの方であれば
『自分の仕事』→ 『多くの人の精神と向かい合う』→『表情から見て取れる精神状態』などから、
この絵に描かれたそれぞれの人の表情に着目し鑑賞した方もいた。
これをグループですることにより、
同じ作品であっても自分にはなかった視点に気がついてくる。
どういう考え方をする人なのかというのも見えてきて面白いし、
お互いの外見や肩書きだけでなく、内面や経験など自然とシェアするキッカケにもなる。
というのが今回の『芸術を通してお互いのことを知る』企画の狙い。
それぞれの考え方や感じ方、性格など、色んな一面が垣間見れて面白かったな。
一般的に美術館を訪れる人が一つの作品にかける鑑賞時間は平均5秒くらいらしい。
また目の前にある作品を鑑賞することよりも、説明を読むことの方により時間がかかっていることも多い。
この作品を見たときにどのくらいの人が、
アーティストが表現したそれぞれの人物の表情の違いにまで注目してみただろう?
美術教育としてだけではなく、教育という大きな観点からみても
自分自身と向かい合い、意見をよりクリティカルな要素に落とし込み、
注意深く観察し、コネクションを考え、自分なりの答えを見出す。
そして自分とは違う視点にもオープンでいることで、新しいアイディアへとも繋がっていく。
という、その過程が大切。
芸術って自分自身を反映する鏡であり、
別の視点・世界を見られる窓みたいなもの。
今だに『情報の暗記』というこれから一番必要のなくなりそうな能力を
ひたすらに鍛えられる学校教育が多い中に、
芸術という答えのないものを積極的に取り入れていければ面白い。
この企画も面白かったので、もっとやっていこうかな

2018年02月16日
学び続ける態度
イザベラガードナー美術館でのクラスは2学期目がスタート。
今まではVisual Thinking Strategyを中心としたディスカッションのファシリテーションにフォーカスを当ててきたが、これからは美術館のコレクション自体についても学んでいく。
美術を通した会話でも、画家のことや時代背景などを知ることはファシリテーション側としてはあるに越したことはない。
ただし、クラスで先生も重ね重ね言われることは、
生徒に自分の“知識を伝える”ことが目的ではないということを忘れないこと。
情報・知識は何よりも『伝えるタイミング』が大事。
教師としては、自分が知っていることを一方的に伝えるほうが安心感もあるし、
生徒が自分の教えたことを暗記し、テストで示してもらえれば満足感もある。
でも本当に大事なのは、その情報・知識をただ与えることではなく、
その知識を持って、生徒たちがどう自分自身を成長させる糧とできるのか。
どう掘り下げて『考えるキッカケ』を与えられるのか。
オープンクエッションを取り入れ出すと、そもそも答えも一つでない以上、
教師もその場で一緒に考えることが必要になる。
ここが不安に感じるところなのは良く分かる。
自分も答えを知らない質問が出てきたらどうしよう。。
答えられないと教師として面目が立たないだろうか。。
でも、実社会にでたら自分の専門のことであっても分からないことばかり。
学校でたくらいで全部を知りうる訳がない。
それが現実じゃないか。。
『学び続ける』から成長する。
僕たち大人が『態度』でそれを示していく必要がある。
今学期はそれを常に念頭に置きながら、
深いディスカッションができるようファシリテートするための『予備知識』として
美術館のコレクションなどをリサーチして行こうと思う。
西洋美術の“大きな流れ”を掴むのに、この本良かった↓

今まではVisual Thinking Strategyを中心としたディスカッションのファシリテーションにフォーカスを当ててきたが、これからは美術館のコレクション自体についても学んでいく。
美術を通した会話でも、画家のことや時代背景などを知ることはファシリテーション側としてはあるに越したことはない。
ただし、クラスで先生も重ね重ね言われることは、
生徒に自分の“知識を伝える”ことが目的ではないということを忘れないこと。
情報・知識は何よりも『伝えるタイミング』が大事。
教師としては、自分が知っていることを一方的に伝えるほうが安心感もあるし、
生徒が自分の教えたことを暗記し、テストで示してもらえれば満足感もある。
でも本当に大事なのは、その情報・知識をただ与えることではなく、
その知識を持って、生徒たちがどう自分自身を成長させる糧とできるのか。
どう掘り下げて『考えるキッカケ』を与えられるのか。
オープンクエッションを取り入れ出すと、そもそも答えも一つでない以上、
教師もその場で一緒に考えることが必要になる。
ここが不安に感じるところなのは良く分かる。
自分も答えを知らない質問が出てきたらどうしよう。。
答えられないと教師として面目が立たないだろうか。。
でも、実社会にでたら自分の専門のことであっても分からないことばかり。
学校でたくらいで全部を知りうる訳がない。
それが現実じゃないか。。
『学び続ける』から成長する。
僕たち大人が『態度』でそれを示していく必要がある。
今学期はそれを常に念頭に置きながら、
深いディスカッションができるようファシリテートするための『予備知識』として
美術館のコレクションなどをリサーチして行こうと思う。
西洋美術の“大きな流れ”を掴むのに、この本良かった↓

2017年12月20日
オープンクエスチョン
教育の在り方についてずっと続いている議論の一つは、
学校教育の目的がテストでいい点をとることになっていて、
実社会で必要な能力と離れてきたということ。
学校で実際にやっていることは『情報のインプット』がほとんどで、
暗記力を鍛えている時間が多い。
でも社会にでたらアイディアをアウトプットをしていかなきゃいけない。
『自分の価値を提供』していかなきゃいけない。
新たなテクノロジーの目まぐるしい発展で、
生活も、仕事も、働き方も変わった。
そして昔と違って現代のテクノロジーの発展はスピードがハンパない。
僕たちが経験してきたものよりも、どんどん更に早くなる。
もう10年後には今は存在していない仕事なども多くあるという。
スマホの普及からだけでも、『情報の価値』も大きく変わった。
その中で生きていかないといけないのが次の世代の子供達。
そしてその次世代の子供達が教育をしていかないといけないのが、
更に移り変わるであろう、その次の世代の子供達。
今の子供達が、次の世代にどういう学び方、生き方を示していけるのかのキーは
今の時代の教育が大きく関わる。
でもどうして学校教育の在り方はなかなか変わらないんだろう?
変わりゆく社会に出ても、そこで力強く生きていけることが目的でないのなら、
何のための、誰のための教育システムなんだろう?
よく耳にする『アクティブラーニング』の要素としてあるのが
オープンクエスチョン。
開かれた質問?どゆこと?
逆にClosed questionを考えてみると分かりやすいかも。
クローズしている質問は、
それに対する答えが単純にYES or NOであったり、特にそれ以上発展をしないもの。
なのでオープンクエスチョンは、質問に対しての答えがいっぱい考えられるもの。
答える人によって様々な可能性があり、そこから更に会話が広がっていく質問。
質問に対してより考え、疑問がでてきたり、自分の視点からだからこそでてくる意見。
想像を促したり、物事をより詳細に観察する必要もでてくるかもしれない。
答えを知ってるか知らないかでなく、自分の考えは何か。
そして何故そう思うのか。
こういう質問がでてくる授業ってどういうのがあっただろう?
色んな形のオープンクエスチョンがあるともうけど、芸術鑑賞からもいっぱいできる。
というか芸術鑑賞は自分の意見を言う練習にはもってこいじゃないかと思う。
だって、アートを経験するのに最初から正しいも間違いもないから。
体験する人がどう捉え、どう感じ、何を思うのか。
最終的にはそこに尽きるものだと思うから、どんな意見だって間違いじゃない。
例えばこの絵からどんなオープンクエスチョンが考えられるだろう?

(St George Slaying The Doragon, Crivelli,1470, Isabella Gardner Museum )
一つはVisual Thinking Strategyの基礎である
『What’s going on in this picture?』
絵の中で『何が起こっているか』の捉え方は様々だ。
あとはどんなのがあるだろな? うーん。
ドラゴンはこの人に向かって何て言ってると思う?
馬は何を言ってると思う?
背景にいる人は何を考えているだろう?
この人はどういう気持ちでドラゴンと戦っているだろう?
どうしてこの人はドラゴンを殺そうとしてるんだろう?
この場面の後何が起こるだろう?
なぜ一人だけ後ろに人がいるんだろう?
もし背景が金色じゃなくて真っ赤だったら何が変わるだろう?
もし背景が広大な砂漠だったら。。?
もしドラゴンじゃなくて、猫だったら。。?
もしドラゴンがもっと巨大だったら。。?
これにタイトルをつけるなら?
目的は正しい答えを導きだすことではなく、『考えることを促す』ことなので、
質問者側は回答者が『どういう考え方』をすることになるか考えてみる。
上にパっと書いてみたことでもおそらく
観察力・考察力
視点を変えて見る・別の立場から考えること
想像力
比較して考えること
更なる疑問をもつこと
などはいってくるだろう。
そして、基本全てに対して『何故そう思うのか』のフォローアップをすることで、
自分なりの解釈の理由がついてくる。
結果的な答え以上に、答えに行き着くまでの過程が
アクティブラーニングの基本で、それを手助けするのがファシリテーターであればいい。
例えば、
『もしこのドラゴンがもっと巨大だったら?』

ただの想像力だけではなく、『象徴』についての考えが加わったり、
アーティストからの視点、表現方法、哲学的な視点など、
グループでアイディアを出し合うことで、質問や考えはどんどん広がっていきうる。
(ブツブツ独り言ブレインストーミング。。。↓)
そもそも空想の絵なんだろうか?
それとも元のストーリーがあるのかな?
このストーリーのドラゴンって”どういう存在“なんだろう?
殺されてるってことは”悪い存在”の象徴?
何をしたから悪いんだろう?
悪い存在、良い存在って絵の何を見ての印象からくるのだろう?
もしこの絵が
『涙を流しながら自分の子供を守っている小さなドラゴンに対して、トドメをさす人間』
『貧しそうな人が既に苦しんでいるところに剣を振りかざす、馬に乗った豪華な服を着た人』
とかだったら印象はどうだろう?
騎士側が今度は金持ちの独裁者とかに見えて、”悪い存在“に見えないだろうか?
もしそうなら、自分が”悪い存在“と決めているのは、
”剣の振り下ろされた先にあるもの(人・動物など)と、その結果“によって代わっている?
剣の先にあるものを殺害する行為が、良い悪いって誰からの道徳観?
悪から見たら、正義という存在が悪なんじゃないの・・・?
じゃあ正義ってなんだろう?
もう一度、ドラゴンの立場からじっくり見て、
この絵の『正義について』ストーリーを考えてみよう。
反対に『人間の立場からの正義』のストーリーを考えてみよう。
これが『芸術』の授業の形の一つであっていいと思う。
これは僕が書きながらブツブツ言ってるだけだけど、
でも例えばこの場合でも、この一つの絵の深い鑑賞から、
1. 想像力を使い(もし〜だったら。。)、
2. コンセプトをたてて考え(正義)、
3. 表現方法を比較し(『正義』が表現されているもの、ポスター、映画、漫画、アニメなどの研究)
4. 表現してみる
・絵から正義をテーマにストーリーを書く
・ショートフィルムにしてみる
・自分なりの『正義の形』を写真にしてみる
・正義の味方のテーマソング・悪役のテーマソングの違いを表現 etc..
5. 個人や、グループで形にしたものをプレゼンテーションする。
6. 他のグループや先生との質疑応答をする
など、
『美術の知識』(インプット)がなくても、
これが芸術の授業であっておかしいことがあるだろうか?
まずはよく観察し考察することから気がつくこと。
教えてもらうのは簡単だけど、自ら気がつくのが難しい。
逆にこの絵についての『事実』を教え、
これは誰の絵でどういうストーリーですか?ってテストして、何の役に立つんだろう?
結局ただの「記憶力」の問題になる。
芸術のマスタークラスやアートヒストリーの授業とかならまだしも(?)
それ以外のほとんどの場合、それ暗記して何になるの?
忘れたって、実社会でもしその情報が必要になれば
ググれば分かるわけだし・・・
それだったら、どういう検索方法があるのか、その情報源は信用できるのか、
異なる視点からの意見がある中で、どうして自分はその情報を選ぶのかを考えられる力をつける方が大事なんではないだろうか?
ちなみに、同じテーマ(St. George And The Dragon) で書かれている絵はいっぱいあるのだけど、
僕が見つけた限りは殆どがドラゴンの方が馬よりも小さく描かれている。
オリジナルのストーリーにも何故かは特に書かれていないようだし、
Art Educationでハーバード大学院を卒業している僕のガードナー美術館の先生たちも、
それ考えたことなかったな。どうしてだろうね?って一緒にちょっと考えてみた。
『明確な答え』はそもそもないのかもしれない。
でも『調べてみたい』と思い動き、考えるプロセスがアクティブラーニング
学校教育の目的がテストでいい点をとることになっていて、
実社会で必要な能力と離れてきたということ。
学校で実際にやっていることは『情報のインプット』がほとんどで、
暗記力を鍛えている時間が多い。
でも社会にでたらアイディアをアウトプットをしていかなきゃいけない。
『自分の価値を提供』していかなきゃいけない。
新たなテクノロジーの目まぐるしい発展で、
生活も、仕事も、働き方も変わった。
そして昔と違って現代のテクノロジーの発展はスピードがハンパない。
僕たちが経験してきたものよりも、どんどん更に早くなる。
もう10年後には今は存在していない仕事なども多くあるという。
スマホの普及からだけでも、『情報の価値』も大きく変わった。
その中で生きていかないといけないのが次の世代の子供達。
そしてその次世代の子供達が教育をしていかないといけないのが、
更に移り変わるであろう、その次の世代の子供達。
今の子供達が、次の世代にどういう学び方、生き方を示していけるのかのキーは
今の時代の教育が大きく関わる。
でもどうして学校教育の在り方はなかなか変わらないんだろう?
変わりゆく社会に出ても、そこで力強く生きていけることが目的でないのなら、
何のための、誰のための教育システムなんだろう?
よく耳にする『アクティブラーニング』の要素としてあるのが
オープンクエスチョン。
開かれた質問?どゆこと?
逆にClosed questionを考えてみると分かりやすいかも。
クローズしている質問は、
それに対する答えが単純にYES or NOであったり、特にそれ以上発展をしないもの。
なのでオープンクエスチョンは、質問に対しての答えがいっぱい考えられるもの。
答える人によって様々な可能性があり、そこから更に会話が広がっていく質問。
質問に対してより考え、疑問がでてきたり、自分の視点からだからこそでてくる意見。
想像を促したり、物事をより詳細に観察する必要もでてくるかもしれない。
答えを知ってるか知らないかでなく、自分の考えは何か。
そして何故そう思うのか。
こういう質問がでてくる授業ってどういうのがあっただろう?
色んな形のオープンクエスチョンがあるともうけど、芸術鑑賞からもいっぱいできる。
というか芸術鑑賞は自分の意見を言う練習にはもってこいじゃないかと思う。
だって、アートを経験するのに最初から正しいも間違いもないから。
体験する人がどう捉え、どう感じ、何を思うのか。
最終的にはそこに尽きるものだと思うから、どんな意見だって間違いじゃない。
例えばこの絵からどんなオープンクエスチョンが考えられるだろう?

(St George Slaying The Doragon, Crivelli,1470, Isabella Gardner Museum )
一つはVisual Thinking Strategyの基礎である
『What’s going on in this picture?』
絵の中で『何が起こっているか』の捉え方は様々だ。
あとはどんなのがあるだろな? うーん。
ドラゴンはこの人に向かって何て言ってると思う?
馬は何を言ってると思う?
背景にいる人は何を考えているだろう?
この人はどういう気持ちでドラゴンと戦っているだろう?
どうしてこの人はドラゴンを殺そうとしてるんだろう?
この場面の後何が起こるだろう?
なぜ一人だけ後ろに人がいるんだろう?
もし背景が金色じゃなくて真っ赤だったら何が変わるだろう?
もし背景が広大な砂漠だったら。。?
もしドラゴンじゃなくて、猫だったら。。?
もしドラゴンがもっと巨大だったら。。?
これにタイトルをつけるなら?
目的は正しい答えを導きだすことではなく、『考えることを促す』ことなので、
質問者側は回答者が『どういう考え方』をすることになるか考えてみる。
上にパっと書いてみたことでもおそらく
観察力・考察力
視点を変えて見る・別の立場から考えること
想像力
比較して考えること
更なる疑問をもつこと
などはいってくるだろう。
そして、基本全てに対して『何故そう思うのか』のフォローアップをすることで、
自分なりの解釈の理由がついてくる。
結果的な答え以上に、答えに行き着くまでの過程が
アクティブラーニングの基本で、それを手助けするのがファシリテーターであればいい。
例えば、
『もしこのドラゴンがもっと巨大だったら?』

ただの想像力だけではなく、『象徴』についての考えが加わったり、
アーティストからの視点、表現方法、哲学的な視点など、
グループでアイディアを出し合うことで、質問や考えはどんどん広がっていきうる。
(ブツブツ独り言ブレインストーミング。。。↓)
そもそも空想の絵なんだろうか?
それとも元のストーリーがあるのかな?
このストーリーのドラゴンって”どういう存在“なんだろう?
殺されてるってことは”悪い存在”の象徴?
何をしたから悪いんだろう?
悪い存在、良い存在って絵の何を見ての印象からくるのだろう?
もしこの絵が
『涙を流しながら自分の子供を守っている小さなドラゴンに対して、トドメをさす人間』
『貧しそうな人が既に苦しんでいるところに剣を振りかざす、馬に乗った豪華な服を着た人』
とかだったら印象はどうだろう?
騎士側が今度は金持ちの独裁者とかに見えて、”悪い存在“に見えないだろうか?
もしそうなら、自分が”悪い存在“と決めているのは、
”剣の振り下ろされた先にあるもの(人・動物など)と、その結果“によって代わっている?
剣の先にあるものを殺害する行為が、良い悪いって誰からの道徳観?
悪から見たら、正義という存在が悪なんじゃないの・・・?
じゃあ正義ってなんだろう?
もう一度、ドラゴンの立場からじっくり見て、
この絵の『正義について』ストーリーを考えてみよう。
反対に『人間の立場からの正義』のストーリーを考えてみよう。
これが『芸術』の授業の形の一つであっていいと思う。
これは僕が書きながらブツブツ言ってるだけだけど、
でも例えばこの場合でも、この一つの絵の深い鑑賞から、
1. 想像力を使い(もし〜だったら。。)、
2. コンセプトをたてて考え(正義)、
3. 表現方法を比較し(『正義』が表現されているもの、ポスター、映画、漫画、アニメなどの研究)
4. 表現してみる
・絵から正義をテーマにストーリーを書く
・ショートフィルムにしてみる
・自分なりの『正義の形』を写真にしてみる
・正義の味方のテーマソング・悪役のテーマソングの違いを表現 etc..
5. 個人や、グループで形にしたものをプレゼンテーションする。
6. 他のグループや先生との質疑応答をする
など、
『美術の知識』(インプット)がなくても、
これが芸術の授業であっておかしいことがあるだろうか?
まずはよく観察し考察することから気がつくこと。
教えてもらうのは簡単だけど、自ら気がつくのが難しい。
逆にこの絵についての『事実』を教え、
これは誰の絵でどういうストーリーですか?ってテストして、何の役に立つんだろう?
結局ただの「記憶力」の問題になる。
芸術のマスタークラスやアートヒストリーの授業とかならまだしも(?)
それ以外のほとんどの場合、それ暗記して何になるの?
忘れたって、実社会でもしその情報が必要になれば
ググれば分かるわけだし・・・
それだったら、どういう検索方法があるのか、その情報源は信用できるのか、
異なる視点からの意見がある中で、どうして自分はその情報を選ぶのかを考えられる力をつける方が大事なんではないだろうか?
ちなみに、同じテーマ(St. George And The Dragon) で書かれている絵はいっぱいあるのだけど、
僕が見つけた限りは殆どがドラゴンの方が馬よりも小さく描かれている。
オリジナルのストーリーにも何故かは特に書かれていないようだし、
Art Educationでハーバード大学院を卒業している僕のガードナー美術館の先生たちも、
それ考えたことなかったな。どうしてだろうね?って一緒にちょっと考えてみた。
『明確な答え』はそもそもないのかもしれない。
でも『調べてみたい』と思い動き、考えるプロセスがアクティブラーニング

2017年12月04日
テーマから考える
今回高校生にフォーカスを当てて授業をする中で、
ICA (Institute of Contemporary Art)からゲストスピーカーが来てくれた。
ICAはボストンにあるコンテンポラリーアート美術館で、
教育プログラムとしては特に10代、高校生へフォーカスを当てているらしい。
ボストンのパブリックスクールでも芸術の授業に関して、問題は多いよう。
生徒の40%は学校で芸術と触れる機会がないらしい。
また芸術の先生はいてクラスがあっても、
人数が少ないため実際にアートクラスを受けられる生徒にも限りがある。
更にあまり裕福でない地域になると、バレーを見に行ったり、美術館に行ったり、学校外で芸術と関わることもさらに少なくなる。そのため美術館と自分との距離もさらに広がっていってしまう。
そこでICAは、
ボストンの中でも貧困層の多いいくつかの地域に特に重心をおいてプログラムを行なっているよう。
ボストンはアメリカの中でも学術都市で教育水準は高く、経済的にも栄えてるし、桁外れのお金持ちもいっぱいいて、ボーディングスクールなどリッチな学校も多くある。僕が前回仕事で訪れた高校はもう全員がパソコンを持っていて、学校は来年からは親にiPadを準備してもらおうかどうか考えてる、みたいなことを言ってたな。
その一方で、鉛筆を買うのも大変な学校も多くあり、そういう地域は学生の退学率なども高くなる。
ボストンの中でも格差がかなり大きいという事実だ。
ICAが特に的を絞っているのはそういう背景がある。
高校生の生徒を募ってコミッティを立ち上げ、ツアーなども含め学生たちと一緒に考えてもらい、
学生たちからフィードバックをもらっている。美術館の運営の『内側』に入って貰って、自主的に考えるというものみたい。
ガードナーの場合は学校の先生たちへのトレーニングセッションも行っていて、VTSなどの色々な鑑賞方法を通して自分と作品とのコネクションを見つけることで、生徒たちに芸術を身近なものに感じてもらおうとしている。そして授業の一環として美術館を訪れてもらい、美術館という場所の考え方を柔らかくできないかなーと頑張っている。

(The Institute of Contemporary Art, Boston)
高校生への美術館教育・ツアーに関しての授業のまとめとしては、
『融通性の大切さ』
授業などもだけど、全部しっかりプラン立てたからその通りにやらなきゃ!だけでなく、その場の生徒たちの興味関心に気がつくこと。そこから引き出せることがあるのなら、自分が柔軟に対応する。
大きな目的は「プラン通りに案内を進める」ことではなく、
「この一連の経験を通して生徒がどう成長できるのか」なんだから。
『反応がない=興味がない』ではない。
美術館ツアーでも、生徒全員が目を見張って興味を示すわけはなく、
当然そっぽを向いてたり友達を話しをしだす子も出てくる。
美術館自体が多くの生徒にとっては「安心できる場所」ではない。
じっくり見てみようと言われても、近づき過ぎるなとも言われるし、高価そうなものばかり。
多くの生徒は自分とは違う世界の建物のように感じる。
「つまらないよね」だとしても、友達を話してお互いの感覚を共有することで安心を得ていたり、
アートというよくわからないことについて先生から質問がこないように避けていたり。
そのため、まずは学生たちとの『関係性作り』が大事になる。
芸術をみるのに何も『正しいも間違いもない』という共通意識を持ち、
お互いが話しやすい環境にできればベストだ。
そしてエキスパートとして話すよりも、
『自分も一緒に学んでいる』という姿勢を忘れないこと。
でもこれは高校生相手でなくても、僕は常にもっておきたいこと。
自分も学んでるんだから、失敗も含めて一緒に経験して、一緒に考えたい。
教えるというよりは『自分の経験をシェア』する感覚。
授業だって、「もっとこうするのはどう?」なんて生徒から出てくるなら歓迎だ。
もちろんただ受け入れるのではなく、どうしてそっちの方がより学べると思うのか、みんなで一緒に考たほうが楽しい。
そして、一般的に高校生くらいが特に興味を持ち出すトピックとして
『Power』と『Identity』があがった。
政治、先生と生徒、お金などのパワーバランスについて。今であれば大統領の話題など。
自己に関わることとしてはアメリカでは自分の「人種」も関わってくる。
Black lives matterや、Free speech(最近の白人主義の動き)など、
複雑な問題と自分のアイデンティティなど特に考え出す年頃みたい。

そういう『テーマ』を元に鑑賞をしてみてもいい。
例えば色んな人のポートレートを使って、『パワー』について考える。

(Thomas Howard, Earl of Arundel - Peter Paul Rubens, about 1629-1630, Isabella Gardner Museum)
ー どうしてこの人はこういう風に描いて貰ったんだろう?(“自分”ってどういう人?)
ー どういう力を持っているんだろう?(富、名声、プライド、技術,etc)
ー 絵のどこからそれがみて取れるだろう?(背景、小物、表情、衣服、etc)
ー 自分が持ちたいパワーはどのポートレートと似ている?
ー 誰かに力を貸してもらうなら、どの人?
ー これらのポートレートを、今の社会に当てはめるならどういう人たち?
などなど。もちろん質問の後には「なぜ?」「どうしてそう思う?」がついてくる。
自分が高校生の時って何考えてたんだろな。
ICA (Institute of Contemporary Art)からゲストスピーカーが来てくれた。
ICAはボストンにあるコンテンポラリーアート美術館で、
教育プログラムとしては特に10代、高校生へフォーカスを当てているらしい。
ボストンのパブリックスクールでも芸術の授業に関して、問題は多いよう。
生徒の40%は学校で芸術と触れる機会がないらしい。
また芸術の先生はいてクラスがあっても、
人数が少ないため実際にアートクラスを受けられる生徒にも限りがある。
更にあまり裕福でない地域になると、バレーを見に行ったり、美術館に行ったり、学校外で芸術と関わることもさらに少なくなる。そのため美術館と自分との距離もさらに広がっていってしまう。
そこでICAは、
ボストンの中でも貧困層の多いいくつかの地域に特に重心をおいてプログラムを行なっているよう。
ボストンはアメリカの中でも学術都市で教育水準は高く、経済的にも栄えてるし、桁外れのお金持ちもいっぱいいて、ボーディングスクールなどリッチな学校も多くある。僕が前回仕事で訪れた高校はもう全員がパソコンを持っていて、学校は来年からは親にiPadを準備してもらおうかどうか考えてる、みたいなことを言ってたな。
その一方で、鉛筆を買うのも大変な学校も多くあり、そういう地域は学生の退学率なども高くなる。
ボストンの中でも格差がかなり大きいという事実だ。
ICAが特に的を絞っているのはそういう背景がある。
高校生の生徒を募ってコミッティを立ち上げ、ツアーなども含め学生たちと一緒に考えてもらい、
学生たちからフィードバックをもらっている。美術館の運営の『内側』に入って貰って、自主的に考えるというものみたい。
ガードナーの場合は学校の先生たちへのトレーニングセッションも行っていて、VTSなどの色々な鑑賞方法を通して自分と作品とのコネクションを見つけることで、生徒たちに芸術を身近なものに感じてもらおうとしている。そして授業の一環として美術館を訪れてもらい、美術館という場所の考え方を柔らかくできないかなーと頑張っている。

(The Institute of Contemporary Art, Boston)
高校生への美術館教育・ツアーに関しての授業のまとめとしては、
『融通性の大切さ』
授業などもだけど、全部しっかりプラン立てたからその通りにやらなきゃ!だけでなく、その場の生徒たちの興味関心に気がつくこと。そこから引き出せることがあるのなら、自分が柔軟に対応する。
大きな目的は「プラン通りに案内を進める」ことではなく、
「この一連の経験を通して生徒がどう成長できるのか」なんだから。
『反応がない=興味がない』ではない。
美術館ツアーでも、生徒全員が目を見張って興味を示すわけはなく、
当然そっぽを向いてたり友達を話しをしだす子も出てくる。
美術館自体が多くの生徒にとっては「安心できる場所」ではない。
じっくり見てみようと言われても、近づき過ぎるなとも言われるし、高価そうなものばかり。
多くの生徒は自分とは違う世界の建物のように感じる。
「つまらないよね」だとしても、友達を話してお互いの感覚を共有することで安心を得ていたり、
アートというよくわからないことについて先生から質問がこないように避けていたり。
そのため、まずは学生たちとの『関係性作り』が大事になる。
芸術をみるのに何も『正しいも間違いもない』という共通意識を持ち、
お互いが話しやすい環境にできればベストだ。
そしてエキスパートとして話すよりも、
『自分も一緒に学んでいる』という姿勢を忘れないこと。
でもこれは高校生相手でなくても、僕は常にもっておきたいこと。
自分も学んでるんだから、失敗も含めて一緒に経験して、一緒に考えたい。
教えるというよりは『自分の経験をシェア』する感覚。
授業だって、「もっとこうするのはどう?」なんて生徒から出てくるなら歓迎だ。
もちろんただ受け入れるのではなく、どうしてそっちの方がより学べると思うのか、みんなで一緒に考たほうが楽しい。
そして、一般的に高校生くらいが特に興味を持ち出すトピックとして
『Power』と『Identity』があがった。
政治、先生と生徒、お金などのパワーバランスについて。今であれば大統領の話題など。
自己に関わることとしてはアメリカでは自分の「人種」も関わってくる。
Black lives matterや、Free speech(最近の白人主義の動き)など、
複雑な問題と自分のアイデンティティなど特に考え出す年頃みたい。

そういう『テーマ』を元に鑑賞をしてみてもいい。
例えば色んな人のポートレートを使って、『パワー』について考える。

(Thomas Howard, Earl of Arundel - Peter Paul Rubens, about 1629-1630, Isabella Gardner Museum)
ー どうしてこの人はこういう風に描いて貰ったんだろう?(“自分”ってどういう人?)
ー どういう力を持っているんだろう?(富、名声、プライド、技術,etc)
ー 絵のどこからそれがみて取れるだろう?(背景、小物、表情、衣服、etc)
ー 自分が持ちたいパワーはどのポートレートと似ている?
ー 誰かに力を貸してもらうなら、どの人?
ー これらのポートレートを、今の社会に当てはめるならどういう人たち?
などなど。もちろん質問の後には「なぜ?」「どうしてそう思う?」がついてくる。
自分が高校生の時って何考えてたんだろな。
2017年11月20日
ストーリーから考える
今ガードナー美術館でのクラスは中学生の年代の子に的をあてている。
「中学生ってどんな生徒たち?」
自分の友達や周りを意識して、人から自分がどう見えてるかとか
人と意見が違ったら恥ずかしいから発言がでにくいとか、自分の仲間グループでの結束がでてくる、とか。
日本で同じディスカッションをしても同じことばかりがでてくるんじゃないだろうか?
さて、どうしたら生徒を課題の『内側』に取り込み、考えさせることができるだろうか?
ガードナー美術館の取り組みの一つは『ストーリー』を組み入れること。
なぜストーリーか、というのは美術的感覚の発達には『5段階のステージ』があるという研究からもきていると思うのだけど、それはまたそのうち覚えてたら。。
端的に言えば、あまり抽象的なこと(シンボリズムなど)を捉えようとするよりも考えやすい。
実際にどう取り入れるのかという一例は、Project Zeroという教育について考える
ハーバード大学院の教育学部が中心でやっているもので『Story Routine』というメソッド。
ストーリーを読んだあとに考えてみる手順だ。
1. What story is being told here?
2. How is it being told (how is it presented)?
3. What is the untold story?
4. What is another telling of this story?
5. What is another account that you would like to have told?
伝えられたことをただ『真実』と捉える、又は『覚える』のではなく、
『自分で考える』ことを促すのが基本で、考える手順をステップ化しているものなので、色々と応用できると思う。
これを美術の観点からみると、絵はストーリーの縮図、
もしくは一部が表現されているわけであり、
“止められた時間”みたいなもの。
構図、ジェスチャー、表情、色使い、筆のタッチ、スタイル、心情など、
『視覚的な表現方法』などに注目もできる。
また同じストーリーが別のアーティストに描かれていれば、
表現のスタイルを比較することもできる。
ストーリーを既に知っているのからで例えれば、
『三匹の子豚』とか。

これはランダムにインターネットで拾ってきたものだけど、
“アート”と難しく考えずとも、ストーリーをもとに“考えること”を目的の根本に置くのであれば何からでもいいわけで。
ー この絵から読み取れるストーリーは?
ー どのようにして伝えられているだろう?ストーリーのどこが強調されているだろう?
ー 伝えられていないストーリーはどこだろう?
ー自分が一枚の絵でストーリーを伝えるなら、何を変えるだろう?
ー他には誰からの視点でのストーリーが考えられるだろう?
ーそれぞれの登場人物からの視点でストーリーを考えてみよう。
など。
ちょっと別のも加えてみたけど、観察、クリティカルに考えること、比較して考えること、クリエイティブに考えること、別の視野から見てみること、共感など、色々な考え方をすることになるのではないだろうか。
質問への答えはフォローアップで、グループワークやVTSセッションにもできるし、どこまで深く一つを掘り下げるかは課題のゴールとファシリテーター次第で柔軟に対応していけばいいんじゃないかな。

他にもストーリーの書かれ方(詩や俳句でもいい)を読み取ることや、
書かれた歴史的背景を学ぶことから入ることもできるし、
ニュース記事なんかでもいいんじゃないだろうか。
アメリカの銃撃事件が起こった時のニュースをみて、
ー乱射事件で多くの人が亡くなった。悲しい事件だし、こわい。気をつけないといけない。
で、思考を停止していまうのか。
このニュースは何を伝えているのか?
ー 学校で起こった銃乱射事件。その被害者と加害者の情報。
それをどういう風に伝えようとしているか?強調されているのはどこか?
ー犯人の国籍。移民による犯罪。テロの可能性。どうやってもっと移民を取り締まれるのか。
伝えられていない話は何か?
ーなぜ銃を持っていたかという問題。
別の角度からだとどういう風なニュースでもあるのか?
ー銃社会の問題性
自分ならどう伝えるのか?加えたい情報はあるか?
ー 遺族はどうなるのか?政府からどういうサポートがあるのか?
例えばこれをもっと深く考えディベートするのもいいと思う。
「中学生ってどんな生徒たち?」
自分の友達や周りを意識して、人から自分がどう見えてるかとか
人と意見が違ったら恥ずかしいから発言がでにくいとか、自分の仲間グループでの結束がでてくる、とか。
日本で同じディスカッションをしても同じことばかりがでてくるんじゃないだろうか?
さて、どうしたら生徒を課題の『内側』に取り込み、考えさせることができるだろうか?
ガードナー美術館の取り組みの一つは『ストーリー』を組み入れること。
なぜストーリーか、というのは美術的感覚の発達には『5段階のステージ』があるという研究からもきていると思うのだけど、それはまたそのうち覚えてたら。。
端的に言えば、あまり抽象的なこと(シンボリズムなど)を捉えようとするよりも考えやすい。
実際にどう取り入れるのかという一例は、Project Zeroという教育について考える
ハーバード大学院の教育学部が中心でやっているもので『Story Routine』というメソッド。
ストーリーを読んだあとに考えてみる手順だ。
1. What story is being told here?
2. How is it being told (how is it presented)?
3. What is the untold story?
4. What is another telling of this story?
5. What is another account that you would like to have told?
伝えられたことをただ『真実』と捉える、又は『覚える』のではなく、
『自分で考える』ことを促すのが基本で、考える手順をステップ化しているものなので、色々と応用できると思う。
これを美術の観点からみると、絵はストーリーの縮図、
もしくは一部が表現されているわけであり、
“止められた時間”みたいなもの。
構図、ジェスチャー、表情、色使い、筆のタッチ、スタイル、心情など、
『視覚的な表現方法』などに注目もできる。
また同じストーリーが別のアーティストに描かれていれば、
表現のスタイルを比較することもできる。
ストーリーを既に知っているのからで例えれば、
『三匹の子豚』とか。

これはランダムにインターネットで拾ってきたものだけど、
“アート”と難しく考えずとも、ストーリーをもとに“考えること”を目的の根本に置くのであれば何からでもいいわけで。
ー この絵から読み取れるストーリーは?
ー どのようにして伝えられているだろう?ストーリーのどこが強調されているだろう?
ー 伝えられていないストーリーはどこだろう?
ー自分が一枚の絵でストーリーを伝えるなら、何を変えるだろう?
ー他には誰からの視点でのストーリーが考えられるだろう?
ーそれぞれの登場人物からの視点でストーリーを考えてみよう。
など。
ちょっと別のも加えてみたけど、観察、クリティカルに考えること、比較して考えること、クリエイティブに考えること、別の視野から見てみること、共感など、色々な考え方をすることになるのではないだろうか。
質問への答えはフォローアップで、グループワークやVTSセッションにもできるし、どこまで深く一つを掘り下げるかは課題のゴールとファシリテーター次第で柔軟に対応していけばいいんじゃないかな。

他にもストーリーの書かれ方(詩や俳句でもいい)を読み取ることや、
書かれた歴史的背景を学ぶことから入ることもできるし、
ニュース記事なんかでもいいんじゃないだろうか。
アメリカの銃撃事件が起こった時のニュースをみて、
ー乱射事件で多くの人が亡くなった。悲しい事件だし、こわい。気をつけないといけない。
で、思考を停止していまうのか。
このニュースは何を伝えているのか?
ー 学校で起こった銃乱射事件。その被害者と加害者の情報。
それをどういう風に伝えようとしているか?強調されているのはどこか?
ー犯人の国籍。移民による犯罪。テロの可能性。どうやってもっと移民を取り締まれるのか。
伝えられていない話は何か?
ーなぜ銃を持っていたかという問題。
別の角度からだとどういう風なニュースでもあるのか?
ー銃社会の問題性
自分ならどう伝えるのか?加えたい情報はあるか?
ー 遺族はどうなるのか?政府からどういうサポートがあるのか?
例えばこれをもっと深く考えディベートするのもいいと思う。
Posted by shu at
01:58
│Master Class @ ISGM
2017年11月13日
VTSのファシリテーション
Visual Thinking Strategyの基本は
アート作品を前にグループで意見を出し合い、
それをファシリテートする役である先生がいるという設定。
グループをオブジェクトの前に集め、まず大事なのは生徒各々が観察する時間をつくること。
注意深く、端から端までみてみよう。
それから基本の質問3つというのが、
① What’s going on in this picture (art work)? 何がおこっていると思う?
② What do you see that makes you say that? 何を見てそう思う?
③ What more can we find? もっとどんな発見があるだろう?
という至ってシンプルなもの。
①で、みんなが思っていること、気がついたことなどをシェアしていく。
②は、意見をよりクリティカルに考えるために聞く
③で、もっと色々な考え方や見方もあるかもね、と新しいアイディアを促す
大事になるのは、
ファシリテーターが指をさしながら、意見が作品のどこの部分についてのことなのか明確にする。
全員の目をそこに向け、一緒に考えるということにも繋がる。
そして、ファシリテーターが①の意見を理解し、
他の意見との共通点や相違点などもリンクさせつつ、
基本的に全ての意見を自分の言葉でParaphrase(言い換え)し、②へと繋げ、
その返答をまた理解し言い換えをするということ。
またファシリテーターは“中立な立ち場“を保ち、
一つの意見に肩入れをしないこと。
この辺がシンプルな流れのなかでも、“簡単ではない”ところになる。
すごくシンプルな意見などでも、言い換えをするというのが基本。
例えばある絵をみてーーーー
「前の方は暗くて後ろは金色がピカピカしてる」との意見がでたらどうだろう?
「うん。そうだね。ピカピカしてるね!じゃあもっと別の意見もある人。」と返すのと、
「なるほど。配色と前後のコントラストに注目して、ピカピカしてることに気がついたんだね。」
「何を見て光っていると思う?」
とはどう違うだろう?
まず自分が発言をした立場だったら、どちらが自分の意見はしっかりと聞かれ、
理解され、尊重されていると感じるだろうか?
『配色』『コントラスト』というキーワードから、
生徒たちはどういうことに目がいき、何に気がつくだろうか?
そして一見『当たり前』として捉えてしまいそうなこと、
『ピカピカ』してるってどういうこと?と聞かれどう考えることができるだろうか?
何がピカピカしているのかをより深く観察し、説明できるだろうか?
『見えていること』を根拠にすることで、『自分なりのピカピカの定義とは何か』をこの場で考えて発表しなさい、と言ってるのではないことも大事。
だから『Visual Thinking』というわけだ。
例えば『色』がピカピカしてるのではなく、『光の反射』でピカピカしてるかもしれないと気がつけば、「絵に当てられている照明が反射して光っている」と言えるかもしれない。
となれば
絵の『展示の仕方』によって、特定の色が光って見えるのかもね。
とも言い換えることもできるかもしれない。
『展示の仕方』という視点から新しい発見がでてくるかもしれない。
または、絵の中の『他の色と比較対象』して、別の色は光をそこまで反射していないと気がつけば、
この金色が『光を反射しやすい色』もしくは『材質』なのかも?という考えや疑問もでてき得る。
なぜピカピカを例にだしたかは分からないけどw
もちろんこれは一例であって、自分の経験や知識と繋げての意見もでてくるだろうし、
色んな方向に行き得る。意見の別の部分を掘り下げてもいいだろうし、あえてそこまで掘り下げなくてもいいこともあるだろうし。

ただ大事なのは
より深く自分の意見の根拠を考えることや、
そこにでてくる疑問・興味を引き出す手助けをするということであって
『正しい答えがあるからそこに導こうとする』ということではないということ。
でもココのとこが、特にそのアートに関してもっと知識のあるファシリテーターであればジレンマになったりもするみたい。歴史的事実や、アーティストのことを良く知っていると、ココはそういうそういうことじゃないんだけどな。。とか、話をこっちにもってけないかな。。と感じてしまうこともある。
もちろんこれはVTSの基本であって、セッションの目的・ゴールに合わせて柔軟に対応すればいいと思うのだけど、ファシリテーター自身が『意見にオープンであること』は重要になってくる。
アート作品を前にグループで意見を出し合い、
それをファシリテートする役である先生がいるという設定。
グループをオブジェクトの前に集め、まず大事なのは生徒各々が観察する時間をつくること。
注意深く、端から端までみてみよう。
それから基本の質問3つというのが、
① What’s going on in this picture (art work)? 何がおこっていると思う?
② What do you see that makes you say that? 何を見てそう思う?
③ What more can we find? もっとどんな発見があるだろう?
という至ってシンプルなもの。
①で、みんなが思っていること、気がついたことなどをシェアしていく。
②は、意見をよりクリティカルに考えるために聞く
③で、もっと色々な考え方や見方もあるかもね、と新しいアイディアを促す
大事になるのは、
ファシリテーターが指をさしながら、意見が作品のどこの部分についてのことなのか明確にする。
全員の目をそこに向け、一緒に考えるということにも繋がる。
そして、ファシリテーターが①の意見を理解し、
他の意見との共通点や相違点などもリンクさせつつ、
基本的に全ての意見を自分の言葉でParaphrase(言い換え)し、②へと繋げ、
その返答をまた理解し言い換えをするということ。
またファシリテーターは“中立な立ち場“を保ち、
一つの意見に肩入れをしないこと。
この辺がシンプルな流れのなかでも、“簡単ではない”ところになる。
すごくシンプルな意見などでも、言い換えをするというのが基本。
例えばある絵をみてーーーー
「前の方は暗くて後ろは金色がピカピカしてる」との意見がでたらどうだろう?
「うん。そうだね。ピカピカしてるね!じゃあもっと別の意見もある人。」と返すのと、
「なるほど。配色と前後のコントラストに注目して、ピカピカしてることに気がついたんだね。」
「何を見て光っていると思う?」
とはどう違うだろう?
まず自分が発言をした立場だったら、どちらが自分の意見はしっかりと聞かれ、
理解され、尊重されていると感じるだろうか?
『配色』『コントラスト』というキーワードから、
生徒たちはどういうことに目がいき、何に気がつくだろうか?
そして一見『当たり前』として捉えてしまいそうなこと、
『ピカピカ』してるってどういうこと?と聞かれどう考えることができるだろうか?
何がピカピカしているのかをより深く観察し、説明できるだろうか?
『見えていること』を根拠にすることで、『自分なりのピカピカの定義とは何か』をこの場で考えて発表しなさい、と言ってるのではないことも大事。
だから『Visual Thinking』というわけだ。
例えば『色』がピカピカしてるのではなく、『光の反射』でピカピカしてるかもしれないと気がつけば、「絵に当てられている照明が反射して光っている」と言えるかもしれない。
となれば
絵の『展示の仕方』によって、特定の色が光って見えるのかもね。
とも言い換えることもできるかもしれない。
『展示の仕方』という視点から新しい発見がでてくるかもしれない。
または、絵の中の『他の色と比較対象』して、別の色は光をそこまで反射していないと気がつけば、
この金色が『光を反射しやすい色』もしくは『材質』なのかも?という考えや疑問もでてき得る。
なぜピカピカを例にだしたかは分からないけどw
もちろんこれは一例であって、自分の経験や知識と繋げての意見もでてくるだろうし、
色んな方向に行き得る。意見の別の部分を掘り下げてもいいだろうし、あえてそこまで掘り下げなくてもいいこともあるだろうし。

ただ大事なのは
より深く自分の意見の根拠を考えることや、
そこにでてくる疑問・興味を引き出す手助けをするということであって
『正しい答えがあるからそこに導こうとする』ということではないということ。
でもココのとこが、特にそのアートに関してもっと知識のあるファシリテーターであればジレンマになったりもするみたい。歴史的事実や、アーティストのことを良く知っていると、ココはそういうそういうことじゃないんだけどな。。とか、話をこっちにもってけないかな。。と感じてしまうこともある。
もちろんこれはVTSの基本であって、セッションの目的・ゴールに合わせて柔軟に対応すればいいと思うのだけど、ファシリテーター自身が『意見にオープンであること』は重要になってくる。
2017年11月09日
VTS
New York のMoMA(Museum of Modern Art) で当時のMoMAの教育部長だったPhillip Yanawineと、美術的な感覚についての研究のパイオニアでもあるAbigail Housenのリサーチを元に30年前とかに考案されたのが
『Visual Thinking Strategy』(VTS)というメソッド。

ちなみにどちらもボストンにゆかりのある人たち。
最近読んでた本もよく考えるとボストンで学んでだ人が結構いるな。
さすが学びの街。
そして僕の学んでいるガードナー美術館は、当初からこのメソッドの研究をリードしてきている場所だ。現在では小学校から大学まで多くの学校が参加しているプログラムで、医学部の生徒たちなんかも訪れる。
この様々なレベルに合わせて、美術を通しディスカッションをファシリテートするのが、僕もつく予定のMuseum Teacherというポジションだ。
でも、なぜVTSは考案に至ったのか。
昔々 ーーーーーーー
MoMAの館内ツアーなどは美術の知識も多い人たちが案内しているし、満員御礼って感じだし、ビジターからの反応もよく、特に問題視はしていなかった。
ところが。。。!
そこからもう一歩踏み込んで『実際にツアーに参加した人たちは何を覚えているか?』というリサーチをしたところ、ツアーの直後でも
実際はみんなあんまり何も覚えてなかった

美術品に関して色んな情報を与えられて、なんか満足感もあるし、何かを知ったような気になるが
結局そこに『残るもの』が少なかった。
これじゃやだ。どうにかしようよ。
どうしたら『残る教育』ができるのか。
なもので、色々調査して、研究して、考案されたのがVTSでした。
めでたしめでたし。ーーーーーーーー
簡単にいうとVTSは『美術を通したアクティブラーニングの手法』
深い観察を促し
グループでのコミュニケーションを通してアイディアを広げ
クリエイティブに、クリティカルに、物事を考えられるように習慣づけること
といったような概念がある。
と、僕は理解している。
例えば一つの絵からでもクリエイティブな発想から物語を考えたり、セリフを考えたり、絵の中の登場人物や物の視点から考えて見たり。もしくはアーティストの視点から考えてみたり、技術的なことに疑問をもってみたり、他と比較対象してみたり。
自分の『知識』から歴史的事実と絵の関係性を『つなげて』考察してみたり、自分の『個人的な経験』から『作品と自分自身の繋がり』を見つけ出したり。
作品の中に『見えること』を前提におき、それに『気がつく』ことから『考える』
自分の意見にはそこに見えている『根拠』がある。
そして人に伝わるように自分の意見をまとめることも必要
そのためには『コミュニケーション能力』も必要になる。
こういったCritical Thinking, Creative Thinking, communication, idea sharing など、必要になってくる『考え方』を習慣化させる といったことに繋がる。
なので、『芸術の知識を深める』というのが一番の目的ではない。
VTSの方法自体は至ってシンプルなもので、
『3つの質問』で成り立つ。
ーーー 続く。
2017年11月08日
3時間、ひたすら見る。
イザベラガードナー美術館で受けている美術館教育のマスタークラスでの一つの課題が、
『3時間かけて、一つの作品を見る。』
というもので、もとはハーバードでArt Historyを受け持つJennifer Roberts教授が行なっているものだそう。
教えられるのは簡単だし、スマートフォンなんかでインスタントに情報も得られるけど、
見たときの一瞬の印象だけで終わるのではなく、
自ら『深く観察』し、『気がつく』には時間をかけることも必要。
特に現代社会ではその時間をかけて学ぶという『辛抱強さもスキルの一つ』になっているというコンセプト。
この課題は自分の見る作品について調べたりせずに、『観察のみ』から入ることを勧められた。
ガードナーでのクラスでは少し変えて、美術品は美術館内のものからいくつか選択肢が与えられたのだが、僕はその中で敢えてせっかくならやったことないものに挑戦してみようと思い選んだのが。。。

イス。
セットで並べられたこのイスの周りを3時間、座ったりウロウロしながら見てみた。
この3時間というのは基本的に休みなしで見るのが前提。
朝1時間みて、お昼食べてまた1時間見て。。ではない。
あえて、苦痛にさえ感じる長い時間をかけて観察することから何が見えてくるのか。
作品についてだけではなく、自分ってどういう考え方をする人なのか、3時間の間どう気持ちが動くのか、など自分自身を見つめるということでもある。
特にこのクラスの美術教育の基礎であるVisual Thinking Strategyというのは、深い観察力を促し、作品との個人的な繋がりや意味合いを見出していくという面が大きく、
アート作品は自分を映し出す『鏡』みたいなものでもあり、
新たな世界を覗く『窓』でもある。
みたいなかんじ。
この課題に取り組んで見た結果からいうと、この3時間は僕にとって対して苦痛にはならなかった。
ただこれは僕だけではなく、クラスのほとんどの人が実はそうだったらしい。
もともと“アートに興味のある人”が集まっているから。。という考えもあるだろうけど、ここのポイントはそういうことだけではなかったと思う。
興味があるから見る。のではなく、
見ることでどういう興味が出てくるか、という興味。
見れば見るほど、発見があり、驚きがあったり、疑問が出てきたり、
仮説を立てて見たり、検証してみたり、想像してみたり。
インスタントに入手できる『情報』よりも、
この『思考の過程』そのものに価値がある。
でも、今から3時間またやってと言われれば、すぐにできるわけじゃないな。。
やろうというある意味での『覚悟』の上で取り組むこともキーにもなるんじゃないかな。
あと、3時間かけて疑問に思ったことも、別の人の意見から考えてもいなかったアイディアがポンとでてきたのもハッとした。
自分の小さな『発見』が『興奮』に繋がって、その興奮が別の『興味』を引き出して、興味から『新たな疑問』などど、どんどん考えが進んでいったのだけど、この『興奮』を起爆剤に動いた副作用としてあったのが、
気がつかないうちに『視野が狭くなっていた』ということ。
人と働くこと、考えることってやっぱ大事だね。
しかも僕が選んだこのイスは、選択肢として“Set of chairs”と書かれていて、写真の6つのイスを眺め続けていたのだけど

おわった後にガードナー美術館のウェブサイトで調べてみると、何と最初に書かれていたのが。。。
「この7つのイスは・・・・」
7つ・・・?!
3時間もこの部屋にいて、もう一つ同じデザインのイスがあることに気がついてなかった。。
Jeniffer Roberts 教授のプレゼン↓
『3時間かけて、一つの作品を見る。』
というもので、もとはハーバードでArt Historyを受け持つJennifer Roberts教授が行なっているものだそう。
教えられるのは簡単だし、スマートフォンなんかでインスタントに情報も得られるけど、
見たときの一瞬の印象だけで終わるのではなく、
自ら『深く観察』し、『気がつく』には時間をかけることも必要。
特に現代社会ではその時間をかけて学ぶという『辛抱強さもスキルの一つ』になっているというコンセプト。
この課題は自分の見る作品について調べたりせずに、『観察のみ』から入ることを勧められた。
ガードナーでのクラスでは少し変えて、美術品は美術館内のものからいくつか選択肢が与えられたのだが、僕はその中で敢えてせっかくならやったことないものに挑戦してみようと思い選んだのが。。。

イス。
セットで並べられたこのイスの周りを3時間、座ったりウロウロしながら見てみた。
この3時間というのは基本的に休みなしで見るのが前提。
朝1時間みて、お昼食べてまた1時間見て。。ではない。
あえて、苦痛にさえ感じる長い時間をかけて観察することから何が見えてくるのか。
作品についてだけではなく、自分ってどういう考え方をする人なのか、3時間の間どう気持ちが動くのか、など自分自身を見つめるということでもある。
特にこのクラスの美術教育の基礎であるVisual Thinking Strategyというのは、深い観察力を促し、作品との個人的な繋がりや意味合いを見出していくという面が大きく、
アート作品は自分を映し出す『鏡』みたいなものでもあり、
新たな世界を覗く『窓』でもある。
みたいなかんじ。
この課題に取り組んで見た結果からいうと、この3時間は僕にとって対して苦痛にはならなかった。
ただこれは僕だけではなく、クラスのほとんどの人が実はそうだったらしい。
もともと“アートに興味のある人”が集まっているから。。という考えもあるだろうけど、ここのポイントはそういうことだけではなかったと思う。
興味があるから見る。のではなく、
見ることでどういう興味が出てくるか、という興味。
見れば見るほど、発見があり、驚きがあったり、疑問が出てきたり、
仮説を立てて見たり、検証してみたり、想像してみたり。
インスタントに入手できる『情報』よりも、
この『思考の過程』そのものに価値がある。
でも、今から3時間またやってと言われれば、すぐにできるわけじゃないな。。
やろうというある意味での『覚悟』の上で取り組むこともキーにもなるんじゃないかな。
あと、3時間かけて疑問に思ったことも、別の人の意見から考えてもいなかったアイディアがポンとでてきたのもハッとした。
自分の小さな『発見』が『興奮』に繋がって、その興奮が別の『興味』を引き出して、興味から『新たな疑問』などど、どんどん考えが進んでいったのだけど、この『興奮』を起爆剤に動いた副作用としてあったのが、
気がつかないうちに『視野が狭くなっていた』ということ。
人と働くこと、考えることってやっぱ大事だね。
しかも僕が選んだこのイスは、選択肢として“Set of chairs”と書かれていて、写真の6つのイスを眺め続けていたのだけど

おわった後にガードナー美術館のウェブサイトで調べてみると、何と最初に書かれていたのが。。。
「この7つのイスは・・・・」
7つ・・・?!

3時間もこの部屋にいて、もう一つ同じデザインのイスがあることに気がついてなかった。。
Jeniffer Roberts 教授のプレゼン↓