2018年09月01日
いま必要な能力
対話型鑑賞(Visual Thinking Strategy ) について、
「いま必要な能力」と先日朝日新聞で取り上げられていたよう。
MoMAで約30年前から始まり、
ボストンのガードナー美術館が研究や実践を今でもリードしてきている鑑賞法で、
芸術を通してコミュニケーションスキルや考える力を伸ばしていこうというもの。
ガードナー美術館は2年に1度15人生徒を募集し、対話型鑑賞を基礎とする1年間の美術館教育のコースを行なっていて、このコースを通った上で、先生から合格を貰えれば、ガードナー美術館での教育ツアーを担当する先生になることができる。
去年から僕もクラスに入れてもらうことができ、ここ1年間ガードナー美術館に通い勉強してきた。
僕は美術教育を受けたことがあるわけでもなかったけど、
でもハッキリとこのクラスを受けたい理由と、
今僕が受けるべき教育がココにあると確信もあった。
全てガードナー美術館が出資している授業なので、授業料はゼロというのも有り難かった!
先日先生に僕のツアーを見てもらい、一つ目の合格を貰い、
あと一つツアーを1人で担当し、合格をもらえれば正式にガードナー美術館でのMuseum Teacherとなる。
今回は美術館としてもこれまで特に苦戦してきている日本の大学生たちへのセッションだったので、英語と日本語を混ぜて行った。
何故日本からの学生に対してガードナー美術館が苦戦してきているかというと、
「意見を言えない」学生が多いからだ。
意見がないわけではない。
英語でそれが言えないわけでもない。
今回は通訳までついていた。
それでも自分の考えを『言えない』
自分の考えはクダラナイかも、期待されてる答えじゃないかも。。
と恐れ意見がでない。
対話にそもそも参加ができない。
グループからのコメントや質問を基に、対話を基礎に進めて行くので、
どれだけ準備していっても、知識だけ詰め込んで行っても思い通りに行くわけではないし、ナビゲートする側にも、柔軟性と考える力を要求される。
でも答えのないオープンな質問に対して、ただだんまりを決め込み、
考えることを避け、答えを待つ多くの日本人の学生たちが相手になると
そもそもスタートラインに立てなく苦戦してきている。
これまでのMuseum Teacherは日本人グループに対しては
「文化の違いかも。。英語が難しいからかも・・」とどこまで対話を勧めていいのかが判断しにくかったのだが、僕から見るとこれはこれまでの教育の弊害に他ならない。
この様子は見ていて本当に危機さえ感じる。
今客観的にみると、異常なまでの集団心理から『出る杭』になることを恐れ、お互いの足を引っ張り合い、自由に意見を言えず、共有することで広がるはずのアイディアを押し殺してきているようにさえ見える。
芸術鑑賞にしても、『知る』ことに重きを置きすぎ、
『見る』『感じる』『考える』というより大切な過程をスキップしている。
僕も自身でも学びながら、このメソッドを基にボストンのリーダーシッププログラムでも行なっていたり、また新しいことをドンドン本気で挑戦する今アツイ『札幌新陽高校』との提携で美術のクラスとして行なってきている。
(GPI Boston Leadership Programにて、開智高校の生徒と芸術を通して考えているとこ)
音楽 x 写真 x 美術 x 英語 x コミュニケーション x リーダーシップ x エンパワメント
など、これまで学び経験してきていることに、僕の背骨でもある『教育』を掛け合わせ、
これから日本でのセッションももっと増やしていこうと思っている。
これまで多くが『正しい答え』を学ぶことが基礎であった日本での教育にも、
そもそも『答えのない芸術』を取り入れることで、感じること、そして自らの頭で考え、表現する力を養う機会を増やしていきたい。
すでに世界と向かい合うことが当たり前になっている社会において、
『いま必要な能力』は何なのか。
教育において必要とは言われ続けつつも、このメソッドももう30年近く前から言われてきていること。『アクティブラーニング』も最近の話なんかではない。
これまでの教育の賜物である若い学生と向かい合いながら、
挑戦や失敗を恐れているのは子供なのか、それとも大人なのか。
改めて考えさせられる夏だった。
「いま必要な能力」と先日朝日新聞で取り上げられていたよう。
MoMAで約30年前から始まり、
ボストンのガードナー美術館が研究や実践を今でもリードしてきている鑑賞法で、
芸術を通してコミュニケーションスキルや考える力を伸ばしていこうというもの。
ガードナー美術館は2年に1度15人生徒を募集し、対話型鑑賞を基礎とする1年間の美術館教育のコースを行なっていて、このコースを通った上で、先生から合格を貰えれば、ガードナー美術館での教育ツアーを担当する先生になることができる。
去年から僕もクラスに入れてもらうことができ、ここ1年間ガードナー美術館に通い勉強してきた。
僕は美術教育を受けたことがあるわけでもなかったけど、
でもハッキリとこのクラスを受けたい理由と、
今僕が受けるべき教育がココにあると確信もあった。
全てガードナー美術館が出資している授業なので、授業料はゼロというのも有り難かった!
先日先生に僕のツアーを見てもらい、一つ目の合格を貰い、
あと一つツアーを1人で担当し、合格をもらえれば正式にガードナー美術館でのMuseum Teacherとなる。
今回は美術館としてもこれまで特に苦戦してきている日本の大学生たちへのセッションだったので、英語と日本語を混ぜて行った。
何故日本からの学生に対してガードナー美術館が苦戦してきているかというと、
「意見を言えない」学生が多いからだ。
意見がないわけではない。
英語でそれが言えないわけでもない。
今回は通訳までついていた。
それでも自分の考えを『言えない』
自分の考えはクダラナイかも、期待されてる答えじゃないかも。。
と恐れ意見がでない。
対話にそもそも参加ができない。
グループからのコメントや質問を基に、対話を基礎に進めて行くので、
どれだけ準備していっても、知識だけ詰め込んで行っても思い通りに行くわけではないし、ナビゲートする側にも、柔軟性と考える力を要求される。
でも答えのないオープンな質問に対して、ただだんまりを決め込み、
考えることを避け、答えを待つ多くの日本人の学生たちが相手になると
そもそもスタートラインに立てなく苦戦してきている。
これまでのMuseum Teacherは日本人グループに対しては
「文化の違いかも。。英語が難しいからかも・・」とどこまで対話を勧めていいのかが判断しにくかったのだが、僕から見るとこれはこれまでの教育の弊害に他ならない。
この様子は見ていて本当に危機さえ感じる。
今客観的にみると、異常なまでの集団心理から『出る杭』になることを恐れ、お互いの足を引っ張り合い、自由に意見を言えず、共有することで広がるはずのアイディアを押し殺してきているようにさえ見える。
芸術鑑賞にしても、『知る』ことに重きを置きすぎ、
『見る』『感じる』『考える』というより大切な過程をスキップしている。
僕も自身でも学びながら、このメソッドを基にボストンのリーダーシッププログラムでも行なっていたり、また新しいことをドンドン本気で挑戦する今アツイ『札幌新陽高校』との提携で美術のクラスとして行なってきている。
(GPI Boston Leadership Programにて、開智高校の生徒と芸術を通して考えているとこ)
音楽 x 写真 x 美術 x 英語 x コミュニケーション x リーダーシップ x エンパワメント
など、これまで学び経験してきていることに、僕の背骨でもある『教育』を掛け合わせ、
これから日本でのセッションももっと増やしていこうと思っている。
これまで多くが『正しい答え』を学ぶことが基礎であった日本での教育にも、
そもそも『答えのない芸術』を取り入れることで、感じること、そして自らの頭で考え、表現する力を養う機会を増やしていきたい。
すでに世界と向かい合うことが当たり前になっている社会において、
『いま必要な能力』は何なのか。
教育において必要とは言われ続けつつも、このメソッドももう30年近く前から言われてきていること。『アクティブラーニング』も最近の話なんかではない。
これまでの教育の賜物である若い学生と向かい合いながら、
挑戦や失敗を恐れているのは子供なのか、それとも大人なのか。
改めて考えさせられる夏だった。