2018年09月01日
いま必要な能力
対話型鑑賞(Visual Thinking Strategy ) について、
「いま必要な能力」と先日朝日新聞で取り上げられていたよう。
MoMAで約30年前から始まり、
ボストンのガードナー美術館が研究や実践を今でもリードしてきている鑑賞法で、
芸術を通してコミュニケーションスキルや考える力を伸ばしていこうというもの。
ガードナー美術館は2年に1度15人生徒を募集し、対話型鑑賞を基礎とする1年間の美術館教育のコースを行なっていて、このコースを通った上で、先生から合格を貰えれば、ガードナー美術館での教育ツアーを担当する先生になることができる。
去年から僕もクラスに入れてもらうことができ、ここ1年間ガードナー美術館に通い勉強してきた。
僕は美術教育を受けたことがあるわけでもなかったけど、
でもハッキリとこのクラスを受けたい理由と、
今僕が受けるべき教育がココにあると確信もあった。
全てガードナー美術館が出資している授業なので、授業料はゼロというのも有り難かった!
先日先生に僕のツアーを見てもらい、一つ目の合格を貰い、
あと一つツアーを1人で担当し、合格をもらえれば正式にガードナー美術館でのMuseum Teacherとなる。
今回は美術館としてもこれまで特に苦戦してきている日本の大学生たちへのセッションだったので、英語と日本語を混ぜて行った。
何故日本からの学生に対してガードナー美術館が苦戦してきているかというと、
「意見を言えない」学生が多いからだ。
意見がないわけではない。
英語でそれが言えないわけでもない。
今回は通訳までついていた。
それでも自分の考えを『言えない』
自分の考えはクダラナイかも、期待されてる答えじゃないかも。。
と恐れ意見がでない。
対話にそもそも参加ができない。
グループからのコメントや質問を基に、対話を基礎に進めて行くので、
どれだけ準備していっても、知識だけ詰め込んで行っても思い通りに行くわけではないし、ナビゲートする側にも、柔軟性と考える力を要求される。
でも答えのないオープンな質問に対して、ただだんまりを決め込み、
考えることを避け、答えを待つ多くの日本人の学生たちが相手になると
そもそもスタートラインに立てなく苦戦してきている。
これまでのMuseum Teacherは日本人グループに対しては
「文化の違いかも。。英語が難しいからかも・・」とどこまで対話を勧めていいのかが判断しにくかったのだが、僕から見るとこれはこれまでの教育の弊害に他ならない。
この様子は見ていて本当に危機さえ感じる。
今客観的にみると、異常なまでの集団心理から『出る杭』になることを恐れ、お互いの足を引っ張り合い、自由に意見を言えず、共有することで広がるはずのアイディアを押し殺してきているようにさえ見える。
芸術鑑賞にしても、『知る』ことに重きを置きすぎ、
『見る』『感じる』『考える』というより大切な過程をスキップしている。
僕も自身でも学びながら、このメソッドを基にボストンのリーダーシッププログラムでも行なっていたり、また新しいことをドンドン本気で挑戦する今アツイ『札幌新陽高校』との提携で美術のクラスとして行なってきている。
(GPI Boston Leadership Programにて、開智高校の生徒と芸術を通して考えているとこ)
音楽 x 写真 x 美術 x 英語 x コミュニケーション x リーダーシップ x エンパワメント
など、これまで学び経験してきていることに、僕の背骨でもある『教育』を掛け合わせ、
これから日本でのセッションももっと増やしていこうと思っている。
これまで多くが『正しい答え』を学ぶことが基礎であった日本での教育にも、
そもそも『答えのない芸術』を取り入れることで、感じること、そして自らの頭で考え、表現する力を養う機会を増やしていきたい。
すでに世界と向かい合うことが当たり前になっている社会において、
『いま必要な能力』は何なのか。
教育において必要とは言われ続けつつも、このメソッドももう30年近く前から言われてきていること。『アクティブラーニング』も最近の話なんかではない。
これまでの教育の賜物である若い学生と向かい合いながら、
挑戦や失敗を恐れているのは子供なのか、それとも大人なのか。
改めて考えさせられる夏だった。
「いま必要な能力」と先日朝日新聞で取り上げられていたよう。
MoMAで約30年前から始まり、
ボストンのガードナー美術館が研究や実践を今でもリードしてきている鑑賞法で、
芸術を通してコミュニケーションスキルや考える力を伸ばしていこうというもの。
ガードナー美術館は2年に1度15人生徒を募集し、対話型鑑賞を基礎とする1年間の美術館教育のコースを行なっていて、このコースを通った上で、先生から合格を貰えれば、ガードナー美術館での教育ツアーを担当する先生になることができる。
去年から僕もクラスに入れてもらうことができ、ここ1年間ガードナー美術館に通い勉強してきた。
僕は美術教育を受けたことがあるわけでもなかったけど、
でもハッキリとこのクラスを受けたい理由と、
今僕が受けるべき教育がココにあると確信もあった。
全てガードナー美術館が出資している授業なので、授業料はゼロというのも有り難かった!
先日先生に僕のツアーを見てもらい、一つ目の合格を貰い、
あと一つツアーを1人で担当し、合格をもらえれば正式にガードナー美術館でのMuseum Teacherとなる。
今回は美術館としてもこれまで特に苦戦してきている日本の大学生たちへのセッションだったので、英語と日本語を混ぜて行った。
何故日本からの学生に対してガードナー美術館が苦戦してきているかというと、
「意見を言えない」学生が多いからだ。
意見がないわけではない。
英語でそれが言えないわけでもない。
今回は通訳までついていた。
それでも自分の考えを『言えない』
自分の考えはクダラナイかも、期待されてる答えじゃないかも。。
と恐れ意見がでない。
対話にそもそも参加ができない。
グループからのコメントや質問を基に、対話を基礎に進めて行くので、
どれだけ準備していっても、知識だけ詰め込んで行っても思い通りに行くわけではないし、ナビゲートする側にも、柔軟性と考える力を要求される。
でも答えのないオープンな質問に対して、ただだんまりを決め込み、
考えることを避け、答えを待つ多くの日本人の学生たちが相手になると
そもそもスタートラインに立てなく苦戦してきている。
これまでのMuseum Teacherは日本人グループに対しては
「文化の違いかも。。英語が難しいからかも・・」とどこまで対話を勧めていいのかが判断しにくかったのだが、僕から見るとこれはこれまでの教育の弊害に他ならない。
この様子は見ていて本当に危機さえ感じる。
今客観的にみると、異常なまでの集団心理から『出る杭』になることを恐れ、お互いの足を引っ張り合い、自由に意見を言えず、共有することで広がるはずのアイディアを押し殺してきているようにさえ見える。
芸術鑑賞にしても、『知る』ことに重きを置きすぎ、
『見る』『感じる』『考える』というより大切な過程をスキップしている。
僕も自身でも学びながら、このメソッドを基にボストンのリーダーシッププログラムでも行なっていたり、また新しいことをドンドン本気で挑戦する今アツイ『札幌新陽高校』との提携で美術のクラスとして行なってきている。
(GPI Boston Leadership Programにて、開智高校の生徒と芸術を通して考えているとこ)
音楽 x 写真 x 美術 x 英語 x コミュニケーション x リーダーシップ x エンパワメント
など、これまで学び経験してきていることに、僕の背骨でもある『教育』を掛け合わせ、
これから日本でのセッションももっと増やしていこうと思っている。
これまで多くが『正しい答え』を学ぶことが基礎であった日本での教育にも、
そもそも『答えのない芸術』を取り入れることで、感じること、そして自らの頭で考え、表現する力を養う機会を増やしていきたい。
すでに世界と向かい合うことが当たり前になっている社会において、
『いま必要な能力』は何なのか。
教育において必要とは言われ続けつつも、このメソッドももう30年近く前から言われてきていること。『アクティブラーニング』も最近の話なんかではない。
これまでの教育の賜物である若い学生と向かい合いながら、
挑戦や失敗を恐れているのは子供なのか、それとも大人なのか。
改めて考えさせられる夏だった。
2018年07月09日
AMP 第6・7回 〜Story Making〜
学祭の出し物でクラスがお化け屋敷をするというとで、
それと絡めて新しいプロジェクトを開始。
美術作品を基に『怖い話』の作成。
そして『効果音』と共に『朗読』し、録音したものを作品と一緒に展示する。
物語を書くだけでなく、朗読を加えることで
読むテンポ、声のトーン、ボリュームなど新たな表現の可能性も加わる。
効果音を考えることで、作品を更にImmersive・没入的に鑑賞し、
聞き手に自分の思い描く世界観をより感覚的に訴える手段を考える。
もし自分がこの場面にいたらどんな音が聞こえてきそうだろう?
人がヒソヒソ話す声、叫び声、風の音、靴の音などなど。
そしてそれを身の回りのものを使ってクリエイティブに創作したり、
サウンドエフェクトをyoutubeやウェブサイトから探し、使えそうなものを取り入れていく。
ストーリーメイキングにおいても、これまでやってきている課題を基に
今回はクリアすべき条件を出している。
3分間の朗読の中
・場面の詳細の描写
視点を変えて考え
・登場人物の描写
・感情の描写
・セリフの描写
新たに加えたものとして、五感を使った描写を入れること。
・視覚 (見えているもの)
・聴覚 (カラスの鳴き声、パチパチと燃える炎)
・触覚 (手に滲む汗、冷たいナイフ)
・味覚 (苦い血の味、乾いた風)
・嗅覚 (湿った土、香水の香り)などなど
同じ作品を見ていても、気がつくこと、感じること、考えることも
人によって様々ということは、これまでの課題でもよくわかってきていること。
課題の<目的>は、
深い鑑賞(情景、視点、五感)から、想像力を使い、チームで課題に取り組む経験値を増やすこと。
そのための<手段>が物語を作ってみることであり、
<目標>はチームなりの作品の解釈、そして想像の世界に聞き手を誘い込むこと。
選んだ作品はその世界観を視覚的に伝えるため、
効果音は更に感覚的に訴えるための<手段>。
どこまで作品に基づいた自分たちの想像の世界を具体的に表現できるかが挑戦。
どんな作品が出来上がってくるか楽しみだ。
それと絡めて新しいプロジェクトを開始。
美術作品を基に『怖い話』の作成。
そして『効果音』と共に『朗読』し、録音したものを作品と一緒に展示する。
物語を書くだけでなく、朗読を加えることで
読むテンポ、声のトーン、ボリュームなど新たな表現の可能性も加わる。
効果音を考えることで、作品を更にImmersive・没入的に鑑賞し、
聞き手に自分の思い描く世界観をより感覚的に訴える手段を考える。
もし自分がこの場面にいたらどんな音が聞こえてきそうだろう?
人がヒソヒソ話す声、叫び声、風の音、靴の音などなど。
そしてそれを身の回りのものを使ってクリエイティブに創作したり、
サウンドエフェクトをyoutubeやウェブサイトから探し、使えそうなものを取り入れていく。
ストーリーメイキングにおいても、これまでやってきている課題を基に
今回はクリアすべき条件を出している。
3分間の朗読の中
・場面の詳細の描写
視点を変えて考え
・登場人物の描写
・感情の描写
・セリフの描写
新たに加えたものとして、五感を使った描写を入れること。
・視覚 (見えているもの)
・聴覚 (カラスの鳴き声、パチパチと燃える炎)
・触覚 (手に滲む汗、冷たいナイフ)
・味覚 (苦い血の味、乾いた風)
・嗅覚 (湿った土、香水の香り)などなど
同じ作品を見ていても、気がつくこと、感じること、考えることも
人によって様々ということは、これまでの課題でもよくわかってきていること。
課題の<目的>は、
深い鑑賞(情景、視点、五感)から、想像力を使い、チームで課題に取り組む経験値を増やすこと。
そのための<手段>が物語を作ってみることであり、
<目標>はチームなりの作品の解釈、そして想像の世界に聞き手を誘い込むこと。
選んだ作品はその世界観を視覚的に伝えるため、
効果音は更に感覚的に訴えるための<手段>。
どこまで作品に基づいた自分たちの想像の世界を具体的に表現できるかが挑戦。
どんな作品が出来上がってくるか楽しみだ。
2018年06月28日
AMP 第5回 〜視点を変えて考える〜
今週の大きなテーマは前回の深い鑑賞を更に深めつつ、
視点を変えて作品を鑑賞してみる。
客観的にただ目の前にある作品を眺めるだけでなく、
作品に描かれた人物、そして製作者の立場から作品を見てみる。
一つ目のアクティビティは、
小グループの半分のみが作品を鑑賞
鑑賞をしていない半分のグループに言葉のみの描写で作品と同じ体勢や表情に誘導し、
作品と同じ構図を考え、写真を撮る。
というのをやってみた。
< Picasso, The Two Saltimbanques (Harlequin and his Companion), 1901 >
1つの目的は、深い鑑賞を意識するということ。
前回気がついたものを詳細に書いてみるという課題をやってみたが、
指先や細かな表情まで人に伝えようとしてみると、先ずは自分が更に細かい観察をしてみないといけなくなるし、人にどうイメージしてもらうことができるのか考える必要がある。
2つ目は、相手に伝わるように自分の言葉で表現してみるということ。
例えば比喩表現を使うというのはリーダーシッププログラムでも僕はよくやるのだけど、
伝えたいことの核心・趣旨を捉えた、全く別のもの・別の状況を想像し、イメージしやすい新しい例えに繋げるというのは頭をよく使うし、その場その場で考える回転の速さも必要になる。
3つ目は、視点・立場を変えて考えてみること。
何となく見ている作品でも同じ構図で写真を撮ってみるというのは、
製作者の目線に立ってみるということでもある。
また実際に体勢や表情を細かく真似してみることで、やってみると意外と不自然なことに気が付いたり、作品の中の人物の距離感から関係性もより見えてくるかもしれない。
もう一つの課題・アクティビティもコンセプトは基本同じだが、
視点を変えて考えるところにフォーカスをおいたものに取り組んでいる。
(Annunciation, Sandro Botticelli,1489 )
同じテーマで数多く描かれている作品を使い、
1グループ3人がそれぞれ別々の画家が描いた作品を鑑賞をしている。
描かれた人物2人と、製作者の立場にそれぞれが立ち、それぞれの目線から場面を考えてみる。
それぞれの人物になりきり、その場面に自分が立ってみる。
自分が見ているものは何だろう?
何が気にかかっていることはだろう?
何を考えているだろう?
どんな感情だろう?
何を言おうとしているだろう?(何を表現しようとしてるだろう?)
“正しい答え”を求めているのではなく、
作品の中に描かれている表現、雰囲気などの根拠をヒントに、想像力を使って考えてみるというのが目的。
逆に考えれば、
自分の作ったストーリーの縮図をこの作品で表すこともできる
ということにもなる。
来週はそれぞれの立場になりきって考えてみるとこから。
何を言いそうだろう?は、『写真で一言』くらい柔軟に考えてみて欲しいなw
視点を変えて作品を鑑賞してみる。
客観的にただ目の前にある作品を眺めるだけでなく、
作品に描かれた人物、そして製作者の立場から作品を見てみる。
一つ目のアクティビティは、
小グループの半分のみが作品を鑑賞
鑑賞をしていない半分のグループに言葉のみの描写で作品と同じ体勢や表情に誘導し、
作品と同じ構図を考え、写真を撮る。
というのをやってみた。
< Picasso, The Two Saltimbanques (Harlequin and his Companion), 1901 >
1つの目的は、深い鑑賞を意識するということ。
前回気がついたものを詳細に書いてみるという課題をやってみたが、
指先や細かな表情まで人に伝えようとしてみると、先ずは自分が更に細かい観察をしてみないといけなくなるし、人にどうイメージしてもらうことができるのか考える必要がある。
2つ目は、相手に伝わるように自分の言葉で表現してみるということ。
例えば比喩表現を使うというのはリーダーシッププログラムでも僕はよくやるのだけど、
伝えたいことの核心・趣旨を捉えた、全く別のもの・別の状況を想像し、イメージしやすい新しい例えに繋げるというのは頭をよく使うし、その場その場で考える回転の速さも必要になる。
3つ目は、視点・立場を変えて考えてみること。
何となく見ている作品でも同じ構図で写真を撮ってみるというのは、
製作者の目線に立ってみるということでもある。
また実際に体勢や表情を細かく真似してみることで、やってみると意外と不自然なことに気が付いたり、作品の中の人物の距離感から関係性もより見えてくるかもしれない。
もう一つの課題・アクティビティもコンセプトは基本同じだが、
視点を変えて考えるところにフォーカスをおいたものに取り組んでいる。
(Annunciation, Sandro Botticelli,1489 )
同じテーマで数多く描かれている作品を使い、
1グループ3人がそれぞれ別々の画家が描いた作品を鑑賞をしている。
描かれた人物2人と、製作者の立場にそれぞれが立ち、それぞれの目線から場面を考えてみる。
それぞれの人物になりきり、その場面に自分が立ってみる。
自分が見ているものは何だろう?
何が気にかかっていることはだろう?
何を考えているだろう?
どんな感情だろう?
何を言おうとしているだろう?(何を表現しようとしてるだろう?)
“正しい答え”を求めているのではなく、
作品の中に描かれている表現、雰囲気などの根拠をヒントに、想像力を使って考えてみるというのが目的。
逆に考えれば、
自分の作ったストーリーの縮図をこの作品で表すこともできる
ということにもなる。
来週はそれぞれの立場になりきって考えてみるとこから。
何を言いそうだろう?は、『写真で一言』くらい柔軟に考えてみて欲しいなw
2018年06月24日
AMP 第4回 〜深い観察〜
第4回なのかな。
リサイクルアートでの授業枠としてや休日の振替で授業がなくなったことなどで
しばらくの間時間が空いていて久しぶりに生徒と顔を合わせた。
今回のお題としては、
Warm Up Activityとして、
『◯(マル)から連想できるもの』を考えてスケッチ。
頭を柔軟にマルから連想できるものを書き出して見て、クラスメイトとのシェア。
なるほどこういうのもあるな。という気づきや、新しいアイディアに繋がればよし。
そして、『観察力』にフォーカスして
作品に『見えるもの・気がつくもの』そしてその『状態を詳しく』書き出す作業をしてみた。
美術館でもそうだが多くの場合実際に作品を見ているのはほんの数秒で、
作品に描かれた詳細に目を向ける前に、最初の印象だけで終わってしまう。
でも実際はワイングラス一つとっても、ちょっとした仕草ひとつでも、身につけたアクセサリーなどよく見て気がつくことで、アイディアは大きく広がるかもしれない。
また上の作品でも同じ女性を見て、『楽しんでいる』という意見もあれば『つまらなそう』という意見もあった。全体として『恐怖』を感じる生徒もいれば、『違和感』にとらわれる生徒もいる。新たな視点を発見し、それを基に考えを進めた生徒もいた。
自分の当たり前は人の当たり前ではない。
人によって見方も感じ方も様々だからこそ
何故そう思うのか意見の理由・根拠を示さなければ人には伝わりにくい。
次回はクラスで出てきたアイディアをお互いに共有し、
新たな視点や気づきを自分に取り入れていくことから。
今回はオンラインとしての自分自身の機材やアプリをしっかり把握できてなかったがために、
最初からバタバタとなってしまった。
こちらで作成してるスライドを、こちらの画面をスクリーンシェアして映して進めていこうと思っていたら、なんとiPadでのスカイプってスクリーンシェアできないという。。
パソコンからならできるけど、iPadではできず。。
iPad上で資料作成してるから、ファイルがパソコンの方には入っていなく。。
それにしても今回もまた色々と勉強になった。
自身の振り返り、気づきと、挑戦が山盛り。
でもまだまだ始まったばかりだ。
美術鑑賞のを通して、
『観察』すること、『感じる』こと、『考える』ことの『経験値』を増やし、
その上で『知る』ことで更に広がる可能性に気がつき、『勉強』をするという道を作っていきたい。
リサイクルアートでの授業枠としてや休日の振替で授業がなくなったことなどで
しばらくの間時間が空いていて久しぶりに生徒と顔を合わせた。
今回のお題としては、
Warm Up Activityとして、
『◯(マル)から連想できるもの』を考えてスケッチ。
頭を柔軟にマルから連想できるものを書き出して見て、クラスメイトとのシェア。
なるほどこういうのもあるな。という気づきや、新しいアイディアに繋がればよし。
そして、『観察力』にフォーカスして
作品に『見えるもの・気がつくもの』そしてその『状態を詳しく』書き出す作業をしてみた。
美術館でもそうだが多くの場合実際に作品を見ているのはほんの数秒で、
作品に描かれた詳細に目を向ける前に、最初の印象だけで終わってしまう。
でも実際はワイングラス一つとっても、ちょっとした仕草ひとつでも、身につけたアクセサリーなどよく見て気がつくことで、アイディアは大きく広がるかもしれない。
また上の作品でも同じ女性を見て、『楽しんでいる』という意見もあれば『つまらなそう』という意見もあった。全体として『恐怖』を感じる生徒もいれば、『違和感』にとらわれる生徒もいる。新たな視点を発見し、それを基に考えを進めた生徒もいた。
自分の当たり前は人の当たり前ではない。
人によって見方も感じ方も様々だからこそ
何故そう思うのか意見の理由・根拠を示さなければ人には伝わりにくい。
次回はクラスで出てきたアイディアをお互いに共有し、
新たな視点や気づきを自分に取り入れていくことから。
今回はオンラインとしての自分自身の機材やアプリをしっかり把握できてなかったがために、
最初からバタバタとなってしまった。
こちらで作成してるスライドを、こちらの画面をスクリーンシェアして映して進めていこうと思っていたら、なんとiPadでのスカイプってスクリーンシェアできないという。。
パソコンからならできるけど、iPadではできず。。
iPad上で資料作成してるから、ファイルがパソコンの方には入っていなく。。
それにしても今回もまた色々と勉強になった。
自身の振り返り、気づきと、挑戦が山盛り。
でもまだまだ始まったばかりだ。
美術鑑賞のを通して、
『観察』すること、『感じる』こと、『考える』ことの『経験値』を増やし、
その上で『知る』ことで更に広がる可能性に気がつき、『勉強』をするという道を作っていきたい。
2018年06月02日
ガードナー美術館教育ツアー
カナダのモントリオールからガードナー美術館に来た中高校生たちにツアーを行った。
モントリオールからということで、
第一言語はフランス語、第二言語が英語だそう。
ガードナー美術館での学生ツアーは、
『一方的に情報を与え続ける』という教育はしない。
Open Questionやグループでの会話を通しながら情報を入れていく。
今回はGardner Museum のGothic Roomという部屋からツアーを始めた。
今回は学生たちも英語が第二言語であったこともあり、
自分が日本人であることなども含め自己紹介をしたあと、
僕は自分はこの美術館はとても『ユニーク』だと思うと自分の感想を述べ、
生徒たちに部屋全体を見回してみてもらい
『気がつくことや思うことを一言で表すと何?』
とだけ投げかけてみた。
(Gothic Room / Isabella Gardner Museum )
例えば『部屋が暗い』という意見があった。
This room is kind of dark...
ー どうしてそんなに明るくないと感じる?(できれば言い換えも使う)
Yea true. What makes us feel this room is not well lit? ( Response with paraphrase )
ー 部屋に電気がほとんど付いてなくて、外からの光だけだから。(もう一つ深い考察と理由)
I don’t see much lights inside the room but more from window. ( observation and reasoning)
ー 実はこの美術館は全体通して自然光を使っているんだけど、それもイザベラの計画の一つだったんだよ。(美術館のライティングに関しての情報)
This museum uses natural light as a main source of light, and it was something Isabella did on purpose. (Information)
ー でもそしたら作品が見にくいんじゃない? (疑問)
But them, isn’t it not easy to see the art clearly?? (Question rised from the info)
ー この美術館の展示物は全てイザベラ本人がこの美術館の4階に住みながら、時間をかけて意図的に配置したものなんだよ。だから光の当たり具合によって部屋がどう見えるのかも分かっててやったんじゃないかな??(情報)もしそうだとすると、光の入り方と展示の仕方にも関係性があるのかもしれないよね。(鑑賞のキッカケ)
Well, Isabella lived in 4th floor of this museum and arranged every object by herself. (Info) So I assume she knew how the rooms look like with the limited light source. The light might be a hint to why she arranged objects this way.
ツアーの目的によっては、
ー 光の当たり方を意識して、自分ならこの部屋の作品をどうアレンジする?
ー この部屋で自分の一番好きな作品を、自分ならどこへ配置する?
みたいな方向に持っていくのもアリだな。。
まぁ、などど生徒たちの考えなどをもとに、
ガードナー美術館やガードナー夫人についての情報も織り交ぜていく。
これは作品にしてもしかり。
Open Question やVisual Thinking Strategy のコンセプトを元に進めていく。
ガードナー美術館の取り組みについて、日本の森美術館はインタビューで、
『Visual Thinking Strategyは意識して取り入れていません。
対話型鑑賞といっても、鑑賞は対話をしないと何も始まらない。「みんな何が見える?」「赤、青、黄・・・」といったような造形要素的な部分のやりとりではなく、その前にもっと伝えたいことがあります。どちらかといえば、目に観て取れる造形的な要素から入っていくよりも、表現されたそのものをみてとることから入っていく方法をとっている。エジュケーターが「教える」よりも作品を先に知ったものを「伝える」立場だとすると、話さなければいけないことがある』
(美術教育における美術館と中学校の連携・全博協 研究紀要 第17号 2014年)
とある。
もちろん美術館の『目的』によって取り組みは様々。
このリサーチをまとめられた方も確か結論として書いていたと思うが、
そもそも美術館教育の目的や概念が違う。
このコメントから察するには、
森美術館はおそらく“美術教育”のための教育が目的であり、
ガードナー美術館は“芸術を通した教育”が目的であり、
アクティブラーニングを目標としてる。
ただ個人的にはこのコメントからは
VTSの意図が理解されていないと感じる。
そもそもガードナー美術館でもVTSというのは教育コンセプトの基礎
として置かれているものであり、情報を伝えないのではない。
“伝え方”が違うだけ。
教育において情報は与えるタイミングが大事ということをとても意識している。
『何を』伝えたいか、だけではなく、
『どう』伝えられるか、『なぜ』伝えるのか。
その情報を与えることでどうなって欲しいのか。
『どうしたら』伝えたいことが生徒の中により残る教育ができるのか。
「赤色が多く使われている」などの一見ただ表面的な意見でも、
まずはそれが現段階で生徒が気がつくこと、説明できることであるということも理解する必要がある。
それにそれって何か間違った意見でもなければ、つまらない意見でもないじゃん?
『赤が多い』ってことはアーティストの
『色の選択や使い方』に気がついてるってことでしょ?
アーティストがなぜ赤を多く使用したのかは、
“表現したそのもの”や、感情、スタイルには繋がらないのかな?
VTSのコンセプトにおいて、意見はただ聞くのではなく、
『ファシリテート』するから意味があるのだ。
アーティストの想いや時代背景が分からないと作品が分からないのではなく、
それが目に見える形で表現されているのが作品でしょ?
だから情報よりもまずは深い鑑賞を促しているのだ。
それがVTSの基本であり、情報はそれを更に深めるためのツールとして捉えている。
対話を通し、学生たちリードで、質問ベースで行うというのは、
一方的に情報を与えるツアーよりも難しい。
グループが変われば意見も変わるし、自分の気がつかなかったことや、
答えを知らない質問もでてくる。
でも、自分の『知っていること』が全てじゃない。
だから芸術っておもしろいんじゃないのかな?
モントリオールからということで、
第一言語はフランス語、第二言語が英語だそう。
ガードナー美術館での学生ツアーは、
『一方的に情報を与え続ける』という教育はしない。
Open Questionやグループでの会話を通しながら情報を入れていく。
今回はGardner Museum のGothic Roomという部屋からツアーを始めた。
今回は学生たちも英語が第二言語であったこともあり、
自分が日本人であることなども含め自己紹介をしたあと、
僕は自分はこの美術館はとても『ユニーク』だと思うと自分の感想を述べ、
生徒たちに部屋全体を見回してみてもらい
『気がつくことや思うことを一言で表すと何?』
とだけ投げかけてみた。
(Gothic Room / Isabella Gardner Museum )
例えば『部屋が暗い』という意見があった。
This room is kind of dark...
ー どうしてそんなに明るくないと感じる?(できれば言い換えも使う)
Yea true. What makes us feel this room is not well lit? ( Response with paraphrase )
ー 部屋に電気がほとんど付いてなくて、外からの光だけだから。(もう一つ深い考察と理由)
I don’t see much lights inside the room but more from window. ( observation and reasoning)
ー 実はこの美術館は全体通して自然光を使っているんだけど、それもイザベラの計画の一つだったんだよ。(美術館のライティングに関しての情報)
This museum uses natural light as a main source of light, and it was something Isabella did on purpose. (Information)
ー でもそしたら作品が見にくいんじゃない? (疑問)
But them, isn’t it not easy to see the art clearly?? (Question rised from the info)
ー この美術館の展示物は全てイザベラ本人がこの美術館の4階に住みながら、時間をかけて意図的に配置したものなんだよ。だから光の当たり具合によって部屋がどう見えるのかも分かっててやったんじゃないかな??(情報)もしそうだとすると、光の入り方と展示の仕方にも関係性があるのかもしれないよね。(鑑賞のキッカケ)
Well, Isabella lived in 4th floor of this museum and arranged every object by herself. (Info) So I assume she knew how the rooms look like with the limited light source. The light might be a hint to why she arranged objects this way.
ツアーの目的によっては、
ー 光の当たり方を意識して、自分ならこの部屋の作品をどうアレンジする?
ー この部屋で自分の一番好きな作品を、自分ならどこへ配置する?
みたいな方向に持っていくのもアリだな。。
まぁ、などど生徒たちの考えなどをもとに、
ガードナー美術館やガードナー夫人についての情報も織り交ぜていく。
これは作品にしてもしかり。
Open Question やVisual Thinking Strategy のコンセプトを元に進めていく。
ガードナー美術館の取り組みについて、日本の森美術館はインタビューで、
『Visual Thinking Strategyは意識して取り入れていません。
対話型鑑賞といっても、鑑賞は対話をしないと何も始まらない。「みんな何が見える?」「赤、青、黄・・・」といったような造形要素的な部分のやりとりではなく、その前にもっと伝えたいことがあります。どちらかといえば、目に観て取れる造形的な要素から入っていくよりも、表現されたそのものをみてとることから入っていく方法をとっている。エジュケーターが「教える」よりも作品を先に知ったものを「伝える」立場だとすると、話さなければいけないことがある』
(美術教育における美術館と中学校の連携・全博協 研究紀要 第17号 2014年)
とある。
もちろん美術館の『目的』によって取り組みは様々。
このリサーチをまとめられた方も確か結論として書いていたと思うが、
そもそも美術館教育の目的や概念が違う。
このコメントから察するには、
森美術館はおそらく“美術教育”のための教育が目的であり、
ガードナー美術館は“芸術を通した教育”が目的であり、
アクティブラーニングを目標としてる。
ただ個人的にはこのコメントからは
VTSの意図が理解されていないと感じる。
そもそもガードナー美術館でもVTSというのは教育コンセプトの基礎
として置かれているものであり、情報を伝えないのではない。
“伝え方”が違うだけ。
教育において情報は与えるタイミングが大事ということをとても意識している。
『何を』伝えたいか、だけではなく、
『どう』伝えられるか、『なぜ』伝えるのか。
その情報を与えることでどうなって欲しいのか。
『どうしたら』伝えたいことが生徒の中により残る教育ができるのか。
「赤色が多く使われている」などの一見ただ表面的な意見でも、
まずはそれが現段階で生徒が気がつくこと、説明できることであるということも理解する必要がある。
それにそれって何か間違った意見でもなければ、つまらない意見でもないじゃん?
『赤が多い』ってことはアーティストの
『色の選択や使い方』に気がついてるってことでしょ?
アーティストがなぜ赤を多く使用したのかは、
“表現したそのもの”や、感情、スタイルには繋がらないのかな?
VTSのコンセプトにおいて、意見はただ聞くのではなく、
『ファシリテート』するから意味があるのだ。
アーティストの想いや時代背景が分からないと作品が分からないのではなく、
それが目に見える形で表現されているのが作品でしょ?
だから情報よりもまずは深い鑑賞を促しているのだ。
それがVTSの基本であり、情報はそれを更に深めるためのツールとして捉えている。
対話を通し、学生たちリードで、質問ベースで行うというのは、
一方的に情報を与えるツアーよりも難しい。
グループが変われば意見も変わるし、自分の気がつかなかったことや、
答えを知らない質問もでてくる。
でも、自分の『知っていること』が全てじゃない。
だから芸術っておもしろいんじゃないのかな?
2018年05月18日
AMP第3回 〜リサイクルアート〜
3回目になるクラスは予定を変更して、
生徒たちが参加することになったリサイクルアートのコンテストについて。
今回は探求コース担当の中原さんがクラスの指揮をとり、
グループ毎にまずはコンテストの概要を読み、
募集要項や審査基準などを自分たちで確認するところから。
どれだけ作品を一生懸命作っても、募集要項に沿ってなければ審査対象にもならない。
そこから自分たちの責任で始めることは大事だと思う。
そしてグループ毎で過去の作品を見てみたり、
自分たちはどうするかなどの話し合いだった。
オンラインクラスの環境づくりにおいての課題は残る。
クラス側もパソコン内蔵のマイクを繋げるだけでは、
常にクラス全体の声・雑音がこちらに入ってきてグループ毎での話し合いに非常に参加しづらい。
このクラスにおいては外付けのマイクが必須だと思う。
細かいところだが、テーブル毎のディスカッションに参加する場合も
できればパソコンをスタンドにのせるなどして、
パソコンの画面に映るこちらも生徒の目線の高さに合わせるなど
できるだけ自然な形でコミュニケーションを取れるのが理想だと感じた。
生徒がこっちに『気を取られてしまう』のでは話し合いに支障もでてくる。
その後グループ毎に過去のリサイクルアートの作品に
『自分たちなりのタイトルをつけてみる』アクティビティをやったのだけど、
グループでの生徒たちの話し合いを聴いていて一番感じるのは
やはり意見を出すことをまだためらっている子が多い。
『いい意見』であるか、『くだらない意見』だと思われたら嫌だな。。
と考えてしまうのはよく分かる。僕もそうだし。
ただグループでもアイディアを出し合う
『ブレインストーミング』を多くやっていこうと思っているので、
ここはチームとしてもっとオープンに意見を言えるようにしていきたい。
最初のブレインストーミングの段階は、
出てくるアイディアについてどうこう検討をする場ではない。
どんな『突拍子の無い意見』であっても、
そこから別の何かに繋がっていくキッカケになる可能性も大きくある。
グループで行うなら特に自分だけでは判断できないことなので、
とにかく思ったことは出していく。
また書き出すことで
同じことをグルグルと考えずに次へ進めると思う。
複数の脳みそ使っても繋がらなかったら、
そのアイディアは使わなければいいだけのこと。
そもそもアートを使って自由な発想を元に意見を出し合うなら、
『突拍子も無い』アイディアがないんじゃないかな。
この絵に自分ならどんなタイトルをつけてみるだろう?
どれだけ『突拍子もないアイディア』がでてくるだろう?
そのアイディアは『くだらない』ものだろうか?
1964年 Rene Madritte - The son of man (人の子)-
生徒たちが参加することになったリサイクルアートのコンテストについて。
今回は探求コース担当の中原さんがクラスの指揮をとり、
グループ毎にまずはコンテストの概要を読み、
募集要項や審査基準などを自分たちで確認するところから。
どれだけ作品を一生懸命作っても、募集要項に沿ってなければ審査対象にもならない。
そこから自分たちの責任で始めることは大事だと思う。
そしてグループ毎で過去の作品を見てみたり、
自分たちはどうするかなどの話し合いだった。
オンラインクラスの環境づくりにおいての課題は残る。
クラス側もパソコン内蔵のマイクを繋げるだけでは、
常にクラス全体の声・雑音がこちらに入ってきてグループ毎での話し合いに非常に参加しづらい。
このクラスにおいては外付けのマイクが必須だと思う。
細かいところだが、テーブル毎のディスカッションに参加する場合も
できればパソコンをスタンドにのせるなどして、
パソコンの画面に映るこちらも生徒の目線の高さに合わせるなど
できるだけ自然な形でコミュニケーションを取れるのが理想だと感じた。
生徒がこっちに『気を取られてしまう』のでは話し合いに支障もでてくる。
その後グループ毎に過去のリサイクルアートの作品に
『自分たちなりのタイトルをつけてみる』アクティビティをやったのだけど、
グループでの生徒たちの話し合いを聴いていて一番感じるのは
やはり意見を出すことをまだためらっている子が多い。
『いい意見』であるか、『くだらない意見』だと思われたら嫌だな。。
と考えてしまうのはよく分かる。僕もそうだし。
ただグループでもアイディアを出し合う
『ブレインストーミング』を多くやっていこうと思っているので、
ここはチームとしてもっとオープンに意見を言えるようにしていきたい。
最初のブレインストーミングの段階は、
出てくるアイディアについてどうこう検討をする場ではない。
どんな『突拍子の無い意見』であっても、
そこから別の何かに繋がっていくキッカケになる可能性も大きくある。
グループで行うなら特に自分だけでは判断できないことなので、
とにかく思ったことは出していく。
また書き出すことで
同じことをグルグルと考えずに次へ進めると思う。
複数の脳みそ使っても繋がらなかったら、
そのアイディアは使わなければいいだけのこと。
そもそもアートを使って自由な発想を元に意見を出し合うなら、
『突拍子も無い』アイディアがないんじゃないかな。
この絵に自分ならどんなタイトルをつけてみるだろう?
どれだけ『突拍子もないアイディア』がでてくるだろう?
そのアイディアは『くだらない』ものだろうか?
1964年 Rene Madritte - The son of man (人の子)-
2018年05月08日
AMP 第2回
札幌新陽高校とボストンの自宅とをオンラインで繋いで始まっている
Artful Mind Project クラス(美術枠)の2回目が行われた。
まずは、フリーライティング。
出題された作品を見て、そこから考えることなどを自由に書いてみるというもの。
設定は20分にし、お題の写真はせっかくなので
去年東大の英語の試験(?)でも出されていたものを選んでみた。
皆んながどんなことを書いたのか楽しみ
同じ課題をまた半年後とか1年後とかにやろうと思うけど、
これからクラスを進めていく中で、生徒たちの作品の捉え方にどうバリエーションが加わっていたり、どうクリティカルに自分の意見を書けるようになってくるのかを見るのも楽しみだ
そのあとは、前回考え書いていてもらった『アートを通した自己紹介』を
今日はコミュニケーションを通しながらやっていった。
教室とこちらとお互いに二つのパソコンを使い、
こちらのファシリテーター二人がそれぞれオンラインで一人ずつ生徒たちと面談。
その間生徒同士でもお互いに自己紹介を通し、アイディアを共有。
こちらがどんな人間なのか感じてもらい生徒たちとの信頼関係を築いていくこと、更にはみんながどんな考え方をするタイプで、どんな性格なのかなどを考えながら話していたのだけど、
書いてもらっていたものをただ読むのと、
コミュニケーションを通して行うのでは感じ取れる情報に大きく違いもあり、
この時間はとても貴重だった。
そもそもこのクラスはこちらが『先生』として何かを教え、
生徒がそれを『知識として覚えていく』ものではない。
コミュニケーションやディスカッションなどを通し、
自由に意見を出し合うことで、
新たな視点や考え方に気がつき、
お互いから学ぶということが目的であり、
その学びをファシリテートするのが僕の役目だ。
このクラスは24人の生徒に対して、AMP側からオンラインで2名、現場には美術の先生と、
探求コース担当の先生の4人態勢が出来ている。
『先生』とか『教育に関わっている人』という表面的なことだけではなく、
それぞれに色んなバックグラウンドを持ち、
それぞれの経験と感性から教育を見つめこの教室に集まっている今の生徒の延長線上にいる人間だ。
生徒たち24人、更にはそんな大人4人も加わって答えの一つではない課題を考え、
意見を出し合えるなんておもしろいじゃないか
こちらも生徒の意見が『正しいか間違いか』をジャッジしようとしているわけではなく、
僕たちも一緒に考えてるということを感じてもらい、
安心して意見の言える環境作りをしていくことは、
ただクラスを進めていくよりもよっぽど重要なこと。
オンラインのため音声の不具合などもあったりで、
現場で直接行うよりも時間はとってしまうけど、
それでも必要な時間だと思った。
コミュニケーションを通すことで、
画面全体に映るみんなの表情からだけでは読み取れない
生徒たちの内面が見えてきた。
まだこちらの二人がそれぞれで10人くらいとしか話せていないけど、全員と話したいな
Artful Mind Project クラス(美術枠)の2回目が行われた。
まずは、フリーライティング。
出題された作品を見て、そこから考えることなどを自由に書いてみるというもの。
設定は20分にし、お題の写真はせっかくなので
去年東大の英語の試験(?)でも出されていたものを選んでみた。
皆んながどんなことを書いたのか楽しみ
同じ課題をまた半年後とか1年後とかにやろうと思うけど、
これからクラスを進めていく中で、生徒たちの作品の捉え方にどうバリエーションが加わっていたり、どうクリティカルに自分の意見を書けるようになってくるのかを見るのも楽しみだ
そのあとは、前回考え書いていてもらった『アートを通した自己紹介』を
今日はコミュニケーションを通しながらやっていった。
教室とこちらとお互いに二つのパソコンを使い、
こちらのファシリテーター二人がそれぞれオンラインで一人ずつ生徒たちと面談。
その間生徒同士でもお互いに自己紹介を通し、アイディアを共有。
こちらがどんな人間なのか感じてもらい生徒たちとの信頼関係を築いていくこと、更にはみんながどんな考え方をするタイプで、どんな性格なのかなどを考えながら話していたのだけど、
書いてもらっていたものをただ読むのと、
コミュニケーションを通して行うのでは感じ取れる情報に大きく違いもあり、
この時間はとても貴重だった。
そもそもこのクラスはこちらが『先生』として何かを教え、
生徒がそれを『知識として覚えていく』ものではない。
コミュニケーションやディスカッションなどを通し、
自由に意見を出し合うことで、
新たな視点や考え方に気がつき、
お互いから学ぶということが目的であり、
その学びをファシリテートするのが僕の役目だ。
このクラスは24人の生徒に対して、AMP側からオンラインで2名、現場には美術の先生と、
探求コース担当の先生の4人態勢が出来ている。
『先生』とか『教育に関わっている人』という表面的なことだけではなく、
それぞれに色んなバックグラウンドを持ち、
それぞれの経験と感性から教育を見つめこの教室に集まっている今の生徒の延長線上にいる人間だ。
生徒たち24人、更にはそんな大人4人も加わって答えの一つではない課題を考え、
意見を出し合えるなんておもしろいじゃないか
こちらも生徒の意見が『正しいか間違いか』をジャッジしようとしているわけではなく、
僕たちも一緒に考えてるということを感じてもらい、
安心して意見の言える環境作りをしていくことは、
ただクラスを進めていくよりもよっぽど重要なこと。
オンラインのため音声の不具合などもあったりで、
現場で直接行うよりも時間はとってしまうけど、
それでも必要な時間だと思った。
コミュニケーションを通すことで、
画面全体に映るみんなの表情からだけでは読み取れない
生徒たちの内面が見えてきた。
まだこちらの二人がそれぞれで10人くらいとしか話せていないけど、全員と話したいな
2018年05月01日
AMP 第一回
さっそく札幌新陽高校とをオンラインでつないだクラスの一回目が行われた。
最初はせっかくなのでボストンの紹介
ボストンはアメリカの歴史の発祥地でもあり、大学がいっぱいある学びの街であることなど。
そして「芸術を通して考える」ってどういうことなのか、
このクラスは何を目標としているのか、などをスライドを使って説明。
それと生徒たちからの質問で時間があっという間にすぎちゃったんだけど、
最初の課題として出してあるのは、
『アートを通して自己紹介』
こちらで適当に用意した色々な作品の写真をGoogle photo album でクラスと共有し、
こちらの質問に対して自分なりの答えを考え、その答えと共鳴する作品を探し共有するというもの。
こちらではPersonal Response Activity として、ガードナー美術館でも行なっている。
今回は自己紹介なので、
『自分の性格や特徴などを表した作品を探す』
というお題
まずは自分自身を振り返る。
自分ってどんな人だろう?どんな性格?どんな面があるかな?
例えば『冷静沈着』だとして、それって結局どういうことなんだろう?
常に「穏やかな海」のような心と例え、描かれた場面を探してみるかもしれない。
もしくは自分が「落ち着いた色」と感じるものから探すかもしれない。
逆に大勢が言い争いをしている絵を選び、視点を変えてそれを客観的に描いているアーティスト側の立場と自分を繋げるかもしれない。
比喩的表現、
描かれている人物の気持ちになるなどの共感力、
立場・視点を変えてみる、
表情などの細かな情報から読み取る観察力
そこから自身の新たな表現へと繋げる
などなど。
可能性はいくらでもあるし、ファシリテーションも通せば更に作品をよく観察することにもなる。
例えば、一例として僕はこれを選んでみた。
『僕がこの絵を選んだ理由は、この作品に描かれた人物の表情、服の色、そして行動に自分の性格が映し出されているからです。
この人物は上を見上げ、何か深い考え事をしているように見えます。僕も色々なアイディアを考えるのが好きで、一人でもよく考えに耽ることが多く、特に教育においては熱が入ります。
情熱を表すかのような真っ赤な衣服を身に纏い、考えに耽る様子が、この芸術を通した教育について考える最近の自分と重なりました。
それと同時に、僕は考えすぎて行動に移すのが遅いこともよくあり、この人物の様に手元にペンを持ったまま頭の中でアイディアだけ膨らんでいき、紙は白紙のままという状態も自分を映し出しているように思いました。』
とか。
生徒たちからもどんなものが出てくるか楽しみだな
大人だから“いい答え”がいつもあるわけではないし、
“先生”だからいい事言わなきゃって構えずともいいと思う。
そもそも正解も何もないことなので、自由な発想で、
学生とも考えるというプロセスを共有し、お互いから学び合うことが目的。
初回の反省点は。。
ちょっと最初に説明だけを詰めすぎたかな。
今まで生徒たちが『美術の授業』でやってきたことと内容が結構変わって来ると思い、
その辺を説明しようと思ったんだけど、思ったより時間かかっちゃったな。。
< 改善していけること>
>今回は一つのカメラに生徒全員を映していたので、生徒たちの反応・表情が上手くこちらに伝わってこなかった。
>こちらのスライドを映している間こちらの表情が生徒たちに見えなかったのも改善したい。
> スライド中であっても、ちょっとした質問を投げかける時など、
お互いに表情や動作がみえるだけでも『ただの沈黙』なのか、『考えている時間』なのか認識できる。
やはりコミュニケーションを取る上で、
お互いの表情や仕草が見えると見えないでは伝わりかた大きく変わって来ると実感。
生徒たちは全員クロムブックを持っているので、やり方はあるんじゃないかな
最初はせっかくなのでボストンの紹介
ボストンはアメリカの歴史の発祥地でもあり、大学がいっぱいある学びの街であることなど。
そして「芸術を通して考える」ってどういうことなのか、
このクラスは何を目標としているのか、などをスライドを使って説明。
それと生徒たちからの質問で時間があっという間にすぎちゃったんだけど、
最初の課題として出してあるのは、
『アートを通して自己紹介』
こちらで適当に用意した色々な作品の写真をGoogle photo album でクラスと共有し、
こちらの質問に対して自分なりの答えを考え、その答えと共鳴する作品を探し共有するというもの。
こちらではPersonal Response Activity として、ガードナー美術館でも行なっている。
今回は自己紹介なので、
『自分の性格や特徴などを表した作品を探す』
というお題
まずは自分自身を振り返る。
自分ってどんな人だろう?どんな性格?どんな面があるかな?
例えば『冷静沈着』だとして、それって結局どういうことなんだろう?
常に「穏やかな海」のような心と例え、描かれた場面を探してみるかもしれない。
もしくは自分が「落ち着いた色」と感じるものから探すかもしれない。
逆に大勢が言い争いをしている絵を選び、視点を変えてそれを客観的に描いているアーティスト側の立場と自分を繋げるかもしれない。
比喩的表現、
描かれている人物の気持ちになるなどの共感力、
立場・視点を変えてみる、
表情などの細かな情報から読み取る観察力
そこから自身の新たな表現へと繋げる
などなど。
可能性はいくらでもあるし、ファシリテーションも通せば更に作品をよく観察することにもなる。
例えば、一例として僕はこれを選んでみた。
『僕がこの絵を選んだ理由は、この作品に描かれた人物の表情、服の色、そして行動に自分の性格が映し出されているからです。
この人物は上を見上げ、何か深い考え事をしているように見えます。僕も色々なアイディアを考えるのが好きで、一人でもよく考えに耽ることが多く、特に教育においては熱が入ります。
情熱を表すかのような真っ赤な衣服を身に纏い、考えに耽る様子が、この芸術を通した教育について考える最近の自分と重なりました。
それと同時に、僕は考えすぎて行動に移すのが遅いこともよくあり、この人物の様に手元にペンを持ったまま頭の中でアイディアだけ膨らんでいき、紙は白紙のままという状態も自分を映し出しているように思いました。』
とか。
生徒たちからもどんなものが出てくるか楽しみだな
大人だから“いい答え”がいつもあるわけではないし、
“先生”だからいい事言わなきゃって構えずともいいと思う。
そもそも正解も何もないことなので、自由な発想で、
学生とも考えるというプロセスを共有し、お互いから学び合うことが目的。
初回の反省点は。。
ちょっと最初に説明だけを詰めすぎたかな。
今まで生徒たちが『美術の授業』でやってきたことと内容が結構変わって来ると思い、
その辺を説明しようと思ったんだけど、思ったより時間かかっちゃったな。。
< 改善していけること>
>今回は一つのカメラに生徒全員を映していたので、生徒たちの反応・表情が上手くこちらに伝わってこなかった。
>こちらのスライドを映している間こちらの表情が生徒たちに見えなかったのも改善したい。
> スライド中であっても、ちょっとした質問を投げかける時など、
お互いに表情や動作がみえるだけでも『ただの沈黙』なのか、『考えている時間』なのか認識できる。
やはりコミュニケーションを取る上で、
お互いの表情や仕草が見えると見えないでは伝わりかた大きく変わって来ると実感。
生徒たちは全員クロムブックを持っているので、やり方はあるんじゃないかな
2018年04月27日
AMP x 札幌新陽高校
日本の教育に新たな風を起こすため精力的に行動に移している高校として、
注目を集めつつある高校の一つが札幌にある。
日本一に本気で挑戦する人の母校!と銘打った札幌新陽高校だ。
(↑リンク↑↑)
学校外からの企業や人材も積極的に取り入れ、今までの教育概念にとらわれず、
今の子供達がこれからの新しい世の中でも力強く生きていけるために動いてる。
荒井校長先生は、ソフトバンクの社長室での仕事なども含め社会での経験も豊富な方で、
『校長の右腕』として働く中原さんも、もともとスペインでプロサッカー選手だった方。
先生方と一体になり、次世代と正面から向かい合う教育をしていこうとしている。
そんなアツい高校の新たな挑戦でもあるのが
今年開設された『探求コース』であり、その一期生のクラスが始まっている。
以前から話は続いていたのだけど、
実はその新たなコースの美術枠を担当することになった。
“美術の授業”という概念にとらわれず
Artful Mind Project(AMP)の『芸術を通して考える』
という概念をそのままクラスにし、アートを通してなんでも絡めていこうと思ってる。
『先生』ではなく『ファシリテーター』として
クラスをナビゲートする立場として、芸術を通して学ぶというプロセスを一緒にしていくつもりだ。
更にこれを。。
ボストンと札幌のクラスとをオンラインで繋ぎ授業をしていくという挑戦。
ディスカッションや、プロジェクトをベースに、クリエイティブに考えるということ、コミュニケーションをとるということ、共感力をもつということ、視点を変えてみること、チームで働くということなどなど、実際に社会にでた時に求められることを、芸術を通して経験値をあげることが可能だと確信している。
新しい美術の授業枠だけでなく、オンラインというのがまたトリッキーなとこなので、
経験のある方などからの意見なども積極的に取り入れていきたい。
上手くいったこと、課題になったこと、完全に失敗だったことなんかも含めて、
そのプロセスもココにも共有していこうと思う。
日本の高校生への1年に渡る授業という僕にとっても新たな挑戦。
生徒たちと一緒にどんなクラスにできていくのか楽しみだなぁ。。
注目を集めつつある高校の一つが札幌にある。
日本一に本気で挑戦する人の母校!と銘打った札幌新陽高校だ。
(↑リンク↑↑)
学校外からの企業や人材も積極的に取り入れ、今までの教育概念にとらわれず、
今の子供達がこれからの新しい世の中でも力強く生きていけるために動いてる。
荒井校長先生は、ソフトバンクの社長室での仕事なども含め社会での経験も豊富な方で、
『校長の右腕』として働く中原さんも、もともとスペインでプロサッカー選手だった方。
先生方と一体になり、次世代と正面から向かい合う教育をしていこうとしている。
そんなアツい高校の新たな挑戦でもあるのが
今年開設された『探求コース』であり、その一期生のクラスが始まっている。
以前から話は続いていたのだけど、
実はその新たなコースの美術枠を担当することになった。
“美術の授業”という概念にとらわれず
Artful Mind Project(AMP)の『芸術を通して考える』
という概念をそのままクラスにし、アートを通してなんでも絡めていこうと思ってる。
『先生』ではなく『ファシリテーター』として
クラスをナビゲートする立場として、芸術を通して学ぶというプロセスを一緒にしていくつもりだ。
更にこれを。。
ボストンと札幌のクラスとをオンラインで繋ぎ授業をしていくという挑戦。
ディスカッションや、プロジェクトをベースに、クリエイティブに考えるということ、コミュニケーションをとるということ、共感力をもつということ、視点を変えてみること、チームで働くということなどなど、実際に社会にでた時に求められることを、芸術を通して経験値をあげることが可能だと確信している。
新しい美術の授業枠だけでなく、オンラインというのがまたトリッキーなとこなので、
経験のある方などからの意見なども積極的に取り入れていきたい。
上手くいったこと、課題になったこと、完全に失敗だったことなんかも含めて、
そのプロセスもココにも共有していこうと思う。
日本の高校生への1年に渡る授業という僕にとっても新たな挑戦。
生徒たちと一緒にどんなクラスにできていくのか楽しみだなぁ。。
2018年04月07日
危機感
とても受け身な日本からの中学生のグループと接して、
日本の教育に危機感を覚えざる負えなかった。
美術館で『作品と自分の繋がりを探す』アクティビティをやってみたのだけど、
恐ろしいほどに反応が薄かった。
思春期でみんなの前で意見をいうのが恥ずかしいから。。とか
興味のあることじゃないから。。とか
そういう問題じゃないよこれ。
考えてるけど言うまでもないぜ。。なら別にいいよ。
表現の仕方は色々だから。
でもそれ以前の問題だと感じたからこその危機感。
『考えること』を避けてきている。
意見を言わないんじゃなくて、どう考えていいのかが分からない。
黙ってりゃどうにかなるから、待っときゃいい。
すぐに考えることを放棄している。
答えのない質問=難しいってそりゃそうだ。
でも世の中でたら答えの一つでないことばかりじゃないのかな?
ただ問題なのはそういう子供たちではない。
子供たちはあくまでも自分の置かれた環境に適応して学び生きてきているだけ。
問題なのはそのことに危機感を持てない大人たち。
この子達はこんな感じだから。。。って
勝手に子供への期待値を下げまくってる先生もいたけど、
彼らは間違いなくもっと考えられるよ。
ただ自分の頭で考える練習をしてきてないだけ。
そういう機会を与えられてきてないだけ。
改めて考えさせられた。
やっぱまず僕たち大人だな。
変わらないといけないのは。
もっと考えないといけないのは。
日本の教育に危機感を覚えざる負えなかった。
美術館で『作品と自分の繋がりを探す』アクティビティをやってみたのだけど、
恐ろしいほどに反応が薄かった。
思春期でみんなの前で意見をいうのが恥ずかしいから。。とか
興味のあることじゃないから。。とか
そういう問題じゃないよこれ。
考えてるけど言うまでもないぜ。。なら別にいいよ。
表現の仕方は色々だから。
でもそれ以前の問題だと感じたからこその危機感。
『考えること』を避けてきている。
意見を言わないんじゃなくて、どう考えていいのかが分からない。
黙ってりゃどうにかなるから、待っときゃいい。
すぐに考えることを放棄している。
答えのない質問=難しいってそりゃそうだ。
でも世の中でたら答えの一つでないことばかりじゃないのかな?
ただ問題なのはそういう子供たちではない。
子供たちはあくまでも自分の置かれた環境に適応して学び生きてきているだけ。
問題なのはそのことに危機感を持てない大人たち。
この子達はこんな感じだから。。。って
勝手に子供への期待値を下げまくってる先生もいたけど、
彼らは間違いなくもっと考えられるよ。
ただ自分の頭で考える練習をしてきてないだけ。
そういう機会を与えられてきてないだけ。
改めて考えさせられた。
やっぱまず僕たち大人だな。
変わらないといけないのは。
もっと考えないといけないのは。