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Posted by チェスト at

2018年03月14日

鹿児島弁を世界に紹介!

前回ハーバード大学 x 東京大学でのディスカッションに参加した時、
これからの日本の教育の方向性についての話を聞いた時も
大きなフォーカスの一つとして出てきていたが、

これからはグローカルに活躍(Global + Local)できる人材が必要になるということ。

海外で仕事をすることだけが、グローバルに活躍するということではない。

というのは言うまでもないことだけど。。


日本国内からだって、世界を舞台に活躍している人は沢山いる。
小さな島や町からだって、世界に向けて発信ができる時代
どこからでも、自らが視野を広げて行動ができるかどうか。


まさにそんなグローカルな活動として

鹿児島 x 教育 x 語学 などの掛け算で世界に向けたプロジェクト

『Let’s talk かごっま弁』 鹿児島外語学院・GAiGO出版




他にも 英語落語など、面白い取り組みを積極的にしていて、“英語教育” にとどまらず、
グローカルリーダーを育てる場所としてこれからとても楽しみな学校だ。


僕の美術を通した教育 x GAiGOの語学を通した教育でのコラボレーションも企画中!



鹿児島外語学院





  


Posted by shu at 10:48Comments(0)教育一般生活一般

2018年03月12日

リーダーシッププログラム開始

今週からボストンでのリーダーシッププログラムが始まった。



以前も書いたけど、とても短い期間の経験のために、
生徒たちはとても高いお金を出してもらって来ている。

そんな中で、このプログラムに参加した目的が最後まで

『英語を使ってみるため』だともったいなくてしょうがない。

『本物の英語を』とか『生の英語を』とか言い方は色々聞いてきたけど。。。


それだけだけであればハッキリ言って、

一人で語学留学にでも行けば良い。

同じ金額払えばもっとずっと長いこと留学できて、
色んな国から来る生徒たちとも接する機会は多くなると思う。

そっちの方が度胸も、語学もよっぽど鍛えられるだろう。


じゃあなぜこのリーダーシッププログラムなのか。

なぜグループとして来ているのか。

グループでくることの利点は何なのか。

どうしたらそれをリーダーシッププログラムとして活かせるのか。


他にもいっぱいあるけれど、

リーダーシッププログラムにおいて、
答えを教えてもらうことに意味があるわけではない。

それ自体を考えるのも、答えを出すのも生徒であり、
それをナビゲートするのがファシリテーターの役目


僕は答えを知っている人ではなく、一緒に考える人。


自ら考えることに意味がある。

行動することに意味がある。

  


2018年03月06日

Mirror & Window

日本から来られているドクターや研究者の方々へ
『芸術を通してお互いのことを良く知ろう』
をテーマにイザベラガードナー美術館でのファシリテーションをさせてもらった。


メインパートはオープンクエスチョンを使った鑑賞

こちらで用意しておいた、質問が書かれた紙をそれぞれ引いてもらい、
自分の答えと共鳴する作品を部屋の中から探して、
みんなでシェアをしていくというもの。

例えば、『最近自分がハマっていること』。

この質問からまず何を掘り下げて考えるかって、自分自身のこと。

最近の自分は何に夢中になれているだろう?
自分が熱中できることの大切な要素ってなんだろう?
よりクリティカルに自分のことを振り返るキッカケにもなる。

そのテーマや要素を念頭に今一度、部屋を見渡してみる。

数ある作品の中から、何が見えてくるだろう?


(Christ Disputing in the Temple, Isabella Gardner Museum)

どんな要素が作品に入っているか、自分の視点から鑑賞していくことになる。
ここで美術教育としても大切なのは、より深い鑑賞につながっているということ。

作品と自分とのコネクションを見つけることで、より印象に残ることにもなる。

この絵でも、別の質問カードを持っていたドクターの方であれば
『自分の仕事』→ 『多くの人の精神と向かい合う』→『表情から見て取れる精神状態』などから、
この絵に描かれたそれぞれの人の表情に着目し鑑賞した方もいた。

これをグループですることにより、
同じ作品であっても自分にはなかった視点に気がついてくる。

どういう考え方をする人なのかというのも見えてきて面白いし、
お互いの外見や肩書きだけでなく、内面や経験など自然とシェアするキッカケにもなる。

というのが今回の『芸術を通してお互いのことを知る』企画の狙い。

それぞれの考え方や感じ方、性格など、色んな一面が垣間見れて面白かったな。


一般的に美術館を訪れる人が一つの作品にかける鑑賞時間は平均5秒くらいらしい。
また目の前にある作品を鑑賞することよりも、説明を読むことの方により時間がかかっていることも多い。

この作品を見たときにどのくらいの人が、
アーティストが表現したそれぞれの人物の表情の違いにまで注目してみただろう?

美術教育としてだけではなく、教育という大きな観点からみても

自分自身と向かい合い、意見をよりクリティカルな要素に落とし込み、
注意深く観察し、コネクションを考え、自分なりの答えを見出す。

そして自分とは違う視点にもオープンでいることで、新しいアイディアへとも繋がっていく。

という、その過程が大切。


芸術って自分自身を反映するであり、
別の視点・世界を見られるみたいなもの。


今だに『情報の暗記』というこれから一番必要のなくなりそうな能力を
ひたすらに鍛えられる学校教育が多い中に、
芸術という答えのないものを積極的に取り入れていければ面白い。


この企画も面白かったので、もっとやっていこうかな ニヤリ

  


2018年02月28日

教育論のフォーカス

またも面白いミーティングに参加できた。

一つはTAKTOPIAの白川寧々さんの教育概念や、現在の日本教育に対する挑戦。

寧々さんの生い立ちから、アイデンティティってなんなのか、日本の教育、英語教育に対する疑問、グローカルに生きるってどういうことなのか、などなど。。

日本からボストンに研究に来られているドクターの方々や、政府から勉強されに来ている方、ゲームを通しての教育を研究開発されてるまさこさんなどなど、それぞれにスペシャリティを持つ方々と共に話ができるのってホントに面白い。。。

寧々さんも僕のずっと先を突っ走ってるような人で、話聞いてるだけでワクワクだし、
意欲を掻き立てられる。

背中を押される、というよりは前へ引っ張られる感じ。

2、3時間あっという間に過ぎちゃって、ここには書ききれないので、
とりあえず『面白かった』にまとめておこう。。。ニヤリ

是非もっと話を聞いて学びたいと思っている。


そして翌朝はハーバード大学院教育学部で、鈴木寛さんをゲストスピーカーに、
ハーバード生と東大生を含めのディスカッションに参加。



これから日本政府が学校教育に求めていくこと、などの話を聞かせていただいた。
政府としてどういう風に変わったのか、受験システムをなぜ変えるかなど、
直接その道のプロのプレゼンは聞いたことがなかったのでとても参考になった。

ただ『日本では次世代の先生を教育するための指導方法がどう具体的に変わったのか』の話ももっと伺いたかったな。


『子供達がこれからどう変わるべきか』が次世代教育論のフォーカスになることが多いけど、

子供達は変われる

同じような次世代教育論が何十年もされるのは、子供じゃなくて
大人を変えるのが大変だから。


新しい考えにも耳を傾け、
必要あれば柔軟に取り入れ、
常に学び続ける姿勢を持ち、
リスクを取って行動する。

って子供よりも、まず真っ先に
僕たちこれからの教育者に求められてることじゃないだろうか?


自分の先をいく人達と、また色々とよく考える機会をもらってありがたや。。。パンパン


LINK ↓

TAKTOPIA ・グローカルリーダーへの発射台
ソーシャルプロデゥーサーズ・スクール  
タグ :教育改革


Posted by shu at 03:48Comments(0)教育一般

2018年02月22日

電気ショック

3月に日本各地からまた高校生たちがやってくる。

ボストンで組まれているリーダーシッププログラムに参加するためだ。

この春は水戸第一高校、都立西高校、グローバルリーダーシップ(九州の各高校の集まり)の
3グループを担当することになってる。

僕の地元鹿児島からも鶴丸高校が今年初めてニューヨークでのプログラムに参加するらしい。


1週間程のリーダーシッププログラムに参加する学生たちに一番聞くのは

何が目標か。

よりも

なぜ』それが目標なのか。


リーダーシッププログラムは『刺激の場』

1週間、もしくは数日という短い時間の中で、いかに『学び』と『気づき』を
提供できるかがコーディネーター側の立場からの視点。

ただ、僕のようなコーディネーターは電気ウナギみたいなもんで、
与えられるのは短期的な電気ショック



自ら求めなくとも『刺激を用意』されてる中で、
普段と違う文化の中で、
普段とは違うことに思いを巡らせ、
行動のひと押しとなるのはある意味当たり前のこと


でも、
表面的な感動は最初だけ。人間ってあっという間に慣れる。

環境を変えただけでは結局何も変わらない。


そこからが本当に自分の『WHY』と向かい合いだすし、
本当の挑戦は日本に帰った後ここでの体験を元に、
自分の日常の中で動きだせるかどうか

英語を学ぼうという『目標』はあっても、
何のためなのかの『目的』がなければやっぱり続かない。


結局向かい合わないといけないのは『自分自身』


と、自分にも言い聞かせつつ最近は色々な人たちに会ったり、勉強の幅を広げていこうと思ってる。

今勉強している、していきたい、もしくはかけ算していきたいことリストは、

美術を通した教育(Isabella Gardner Museum)
リーダーシッププログラム
Learning Creative Learning (MIT Lab)
哲学
デザインシンキング

そこ辺に
『音楽』 x 『グローバルな視野での地域活性化』 x 『英語』 x『テクノロジー』
などもかけ算して、『教育』に繋げて行ったら面白そうだなぁと思っている。


今は多くを無料で学べるので、
edx や、Learning Creative Learningなど、興味ある方は是非!

  


2018年02月16日

学び続ける態度

イザベラガードナー美術館でのクラスは2学期目がスタート。

今まではVisual Thinking Strategyを中心としたディスカッションのファシリテーションにフォーカスを当ててきたが、これからは美術館のコレクション自体についても学んでいく。

美術を通した会話でも、画家のことや時代背景などを知ることはファシリテーション側としてはあるに越したことはない。

ただし、クラスで先生も重ね重ね言われることは、
生徒に自分の“知識を伝える”ことが目的ではないということを忘れないこと。

情報・知識は何よりも『伝えるタイミング』が大事。

教師としては、自分が知っていることを一方的に伝えるほうが安心感もあるし、
生徒が自分の教えたことを暗記し、テストで示してもらえれば満足感もある。

でも本当に大事なのは、その情報・知識をただ与えることではなく、
その知識を持って、生徒たちがどう自分自身を成長させる糧とできるのか。

どう掘り下げて『考えるキッカケ』を与えられるのか。

オープンクエッションを取り入れ出すと、そもそも答えも一つでない以上、
教師もその場で一緒に考えることが必要になる。

ここが不安に感じるところなのは良く分かる。

自分も答えを知らない質問が出てきたらどうしよう。。
答えられないと教師として面目が立たないだろうか。。

でも、実社会にでたら自分の専門のことであっても分からないことばかり。

学校でたくらいで全部を知りうる訳がない。

それが現実じゃないか。。

『学び続ける』から成長する。

僕たち大人が『態度』でそれを示していく必要がある。

今学期はそれを常に念頭に置きながら、
深いディスカッションができるようファシリテートするための『予備知識』として
美術館のコレクションなどをリサーチして行こうと思う。


西洋美術の“大きな流れ”を掴むのに、この本良かった↓

  


Posted by shu at 00:35Comments(0)Master Class @ ISGM

2017年12月20日

日本の受験について


茂木さん。

ここまでバシッと言われるとスカッとするね(笑)



色んな意見があるだろうけど、どう思うだろうか?  
タグ :受験教育


Posted by shu at 03:52Comments(0)教育一般

2017年12月20日

オープンクエスチョン

教育の在り方についてずっと続いている議論の一つは、
学校教育の目的がテストでいい点をとることになっていて、
実社会で必要な能力と離れてきたということ。

学校で実際にやっていることは『情報のインプット』がほとんどで、
暗記力を鍛えている時間が多い。

でも社会にでたらアイディアをアウトプットをしていかなきゃいけない。

『自分の価値を提供』していかなきゃいけない。

新たなテクノロジーの目まぐるしい発展で、
生活も、仕事も、働き方も変わった。

そして昔と違って現代のテクノロジーの発展はスピードがハンパない。

僕たちが経験してきたものよりも、どんどん更に早くなる。

もう10年後には今は存在していない仕事なども多くあるという。

スマホの普及からだけでも、『情報の価値』も大きく変わった

その中で生きていかないといけないのが次の世代の子供達。

そしてその次世代の子供達が教育をしていかないといけないのが、
更に移り変わるであろう、その次の世代の子供達。

今の子供達が、次の世代にどういう学び方、生き方を示していけるのかのキーは
今の時代の教育が大きく関わる。

でもどうして学校教育の在り方はなかなか変わらないんだろう?

変わりゆく社会に出ても、そこで力強く生きていけることが目的でないのなら、

何のための、誰のための教育システムなんだろう?




よく耳にする『アクティブラーニング』の要素としてあるのが

オープンクエスチョン

開かれた質問?どゆこと?

逆にClosed questionを考えてみると分かりやすいかも。

クローズしている質問は、
それに対する答えが単純にYES or NOであったり、特にそれ以上発展をしないもの。

なのでオープンクエスチョンは、質問に対しての答えがいっぱい考えられるもの。
答える人によって様々な可能性があり、そこから更に会話が広がっていく質問。

質問に対してより考え、疑問がでてきたり、自分の視点からだからこそでてくる意見。
想像を促したり、物事をより詳細に観察する必要もでてくるかもしれない。

答えを知ってるか知らないかでなく、自分の考えは何か

そして何故そう思うのか。

こういう質問がでてくる授業ってどういうのがあっただろう?


色んな形のオープンクエスチョンがあるともうけど、芸術鑑賞からもいっぱいできる。

というか芸術鑑賞は自分の意見を言う練習にはもってこいじゃないかと思う。

だって、アートを経験するのに最初から正しいも間違いもないから。

体験する人がどう捉え、どう感じ、何を思うのか。
最終的にはそこに尽きるものだと思うから、どんな意見だって間違いじゃない。



例えばこの絵からどんなオープンクエスチョンが考えられるだろう?

(St George Slaying The Doragon, Crivelli,1470, Isabella Gardner Museum )

一つはVisual Thinking Strategyの基礎である
『What’s going on in this picture?』

絵の中で『何が起こっているか』の捉え方は様々だ。

あとはどんなのがあるだろな? うーん。

ドラゴンはこの人に向かって何て言ってると思う?
馬は何を言ってると思う?
背景にいる人は何を考えているだろう?
この人はどういう気持ちでドラゴンと戦っているだろう?

どうしてこの人はドラゴンを殺そうとしてるんだろう?
この場面の後何が起こるだろう?
なぜ一人だけ後ろに人がいるんだろう?

もし背景が金色じゃなくて真っ赤だったら何が変わるだろう?
もし背景が広大な砂漠だったら。。?
もしドラゴンじゃなくて、猫だったら。。?
もしドラゴンがもっと巨大だったら。。?

これにタイトルをつけるなら?

目的は正しい答えを導きだすことではなく、『考えることを促す』ことなので、
質問者側は回答者が『どういう考え方』をすることになるか考えてみる。

上にパっと書いてみたことでもおそらく

観察力・考察力
視点を変えて見る・別の立場から考えること
想像力
比較して考えること
更なる疑問をもつこと

などはいってくるだろう。

そして、基本全てに対して『何故そう思うのか』のフォローアップをすることで、
自分なりの解釈の理由がついてくる。

結果的な答え以上に、答えに行き着くまでの過程
アクティブラーニングの基本で、それを手助けするのがファシリテーターであればいい。


例えば、

『もしこのドラゴンがもっと巨大だったら?』



ただの想像力だけではなく、『象徴』についての考えが加わったり、
アーティストからの視点表現方法哲学的な視点など、
グループでアイディアを出し合うことで、質問や考えはどんどん広がっていきうる。

(ブツブツ独り言ブレインストーミング。。。↓)

そもそも空想の絵なんだろうか?
それとも元のストーリーがあるのかな?

このストーリーのドラゴンって”どういう存在“なんだろう?
殺されてるってことは”悪い存在”の象徴?
何をしたから悪いんだろう?
悪い存在、良い存在って絵の何を見ての印象からくるのだろう?

もしこの絵が
『涙を流しながら自分の子供を守っている小さなドラゴンに対して、トドメをさす人間』
『貧しそうな人が既に苦しんでいるところに剣を振りかざす、馬に乗った豪華な服を着た人』
とかだったら印象はどうだろう?

騎士側が今度は金持ちの独裁者とかに見えて、”悪い存在“に見えないだろうか?

もしそうなら、自分が”悪い存在“と決めているのは、
”剣の振り下ろされた先にあるもの(人・動物など)と、その結果“によって代わっている?

剣の先にあるものを殺害する行為が、良い悪いって誰からの道徳観?
悪から見たら、正義という存在が悪なんじゃないの・・・?

じゃあ正義ってなんだろう?

もう一度、ドラゴンの立場からじっくり見て、
この絵の『正義について』ストーリーを考えてみよう。

反対に『人間の立場からの正義』のストーリーを考えてみよう。



これが『芸術』の授業の形の一つであっていいと思う。

これは僕が書きながらブツブツ言ってるだけだけど、
でも例えばこの場合でも、この一つの絵の深い鑑賞から、

1. 想像力を使い(もし〜だったら。。)、
2. コンセプトをたてて考え(正義)、
3. 表現方法を比較し(『正義』が表現されているもの、ポスター、映画、漫画、アニメなどの研究)
4. 表現してみる
・絵から正義をテーマにストーリーを書く
・ショートフィルムにしてみる
・自分なりの『正義の形』を写真にしてみる
・正義の味方のテーマソング・悪役のテーマソングの違いを表現 etc..


5. 個人や、グループで形にしたものをプレゼンテーションする。
6. 他のグループや先生との質疑応答をする

など、

『美術の知識』(インプット)がなくても、
これが芸術の授業であっておかしいことがあるだろうか?

まずはよく観察し考察することから気がつくこと

教えてもらうのは簡単だけど、自ら気がつくのが難しい。

逆にこの絵についての『事実』を教え、
これは誰の絵でどういうストーリーですか?ってテストして、何の役に立つんだろう?

結局ただの「記憶力」の問題になる。

芸術のマスタークラスやアートヒストリーの授業とかならまだしも(?)
それ以外のほとんどの場合、それ暗記して何になるの?

忘れたって、実社会でもしその情報が必要になれば
ググれば分かるわけだし・・・

それだったら、どういう検索方法があるのか、その情報源は信用できるのか、
異なる視点からの意見がある中で、どうして自分はその情報を選ぶのかを考えられる力をつける方が大事なんではないだろうか?


ちなみに、同じテーマ(St. George And The Dragon) で書かれている絵はいっぱいあるのだけど、
僕が見つけた限りは殆どがドラゴンの方が馬よりも小さく描かれている。

オリジナルのストーリーにも何故かは特に書かれていないようだし、
Art Educationでハーバード大学院を卒業している僕のガードナー美術館の先生たちも、
それ考えたことなかったな。どうしてだろうね?って一緒にちょっと考えてみた。

『明確な答え』はそもそもないのかもしれない。

でも『調べてみたい』と思い動き、考えるプロセスがアクティブラーニング グッ  


2017年12月04日

テーマから考える

今回高校生にフォーカスを当てて授業をする中で、
ICA (Institute of Contemporary Art)からゲストスピーカーが来てくれた。

ICAはボストンにあるコンテンポラリーアート美術館で、
教育プログラムとしては特に10代、高校生へフォーカスを当てているらしい。

ボストンのパブリックスクールでも芸術の授業に関して、問題は多いよう。
生徒の40%は学校で芸術と触れる機会がないらしい。

また芸術の先生はいてクラスがあっても、
人数が少ないため実際にアートクラスを受けられる生徒にも限りがある。

更にあまり裕福でない地域になると、バレーを見に行ったり、美術館に行ったり、学校外で芸術と関わることもさらに少なくなる。そのため美術館と自分との距離もさらに広がっていってしまう。

そこでICAは、
ボストンの中でも貧困層の多いいくつかの地域に特に重心をおいてプログラムを行なっているよう。

ボストンはアメリカの中でも学術都市で教育水準は高く、経済的にも栄えてるし、桁外れのお金持ちもいっぱいいて、ボーディングスクールなどリッチな学校も多くある。僕が前回仕事で訪れた高校はもう全員がパソコンを持っていて、学校は来年からは親にiPadを準備してもらおうかどうか考えてる、みたいなことを言ってたな。

その一方で、鉛筆を買うのも大変な学校も多くあり、そういう地域は学生の退学率なども高くなる。
ボストンの中でも格差がかなり大きいという事実だ。

ICAが特に的を絞っているのはそういう背景がある。

高校生の生徒を募ってコミッティを立ち上げ、ツアーなども含め学生たちと一緒に考えてもらい、
学生たちからフィードバックをもらっている。美術館の運営の『内側』に入って貰って、自主的に考えるというものみたい。

ガードナーの場合は学校の先生たちへのトレーニングセッションも行っていて、VTSなどの色々な鑑賞方法を通して自分と作品とのコネクションを見つけることで、生徒たちに芸術を身近なものに感じてもらおうとしている。そして授業の一環として美術館を訪れてもらい、美術館という場所の考え方を柔らかくできないかなーと頑張っている。


(The Institute of Contemporary Art, Boston)


高校生への美術館教育・ツアーに関しての授業のまとめとしては、

『融通性の大切さ』
授業などもだけど、全部しっかりプラン立てたからその通りにやらなきゃ!だけでなく、その場の生徒たちの興味関心に気がつくこと。そこから引き出せることがあるのなら、自分が柔軟に対応する。

大きな目的は「プラン通りに案内を進める」ことではなく、
「この一連の経験を通して生徒がどう成長できるのか」なんだから。

『反応がない=興味がない』ではない。
美術館ツアーでも、生徒全員が目を見張って興味を示すわけはなく、
当然そっぽを向いてたり友達を話しをしだす子も出てくる。

美術館自体が多くの生徒にとっては「安心できる場所」ではない。

じっくり見てみようと言われても、近づき過ぎるなとも言われるし、高価そうなものばかり。
多くの生徒は自分とは違う世界の建物のように感じる。

「つまらないよね」だとしても、友達を話してお互いの感覚を共有することで安心を得ていたり、
アートというよくわからないことについて先生から質問がこないように避けていたり。

そのため、まずは学生たちとの『関係性作り』が大事になる。

芸術をみるのに何も『正しいも間違いもない』という共通意識を持ち、
お互いが話しやすい環境にできればベストだ。

そしてエキスパートとして話すよりも、
『自分も一緒に学んでいる』という姿勢を忘れないこと。

でもこれは高校生相手でなくても、僕は常にもっておきたいこと。

自分も学んでるんだから、失敗も含めて一緒に経験して、一緒に考えたい。
教えるというよりは『自分の経験をシェア』する感覚。

授業だって、「もっとこうするのはどう?」なんて生徒から出てくるなら歓迎だ。
もちろんただ受け入れるのではなく、どうしてそっちの方がより学べると思うのか、みんなで一緒に考たほうが楽しい。



そして、一般的に高校生くらいが特に興味を持ち出すトピックとして

『Power』『Identity』があがった。

政治、先生と生徒、お金などのパワーバランスについて。今であれば大統領の話題など。
自己に関わることとしてはアメリカでは自分の「人種」も関わってくる。

Black lives matterや、Free speech(最近の白人主義の動き)など、
複雑な問題と自分のアイデンティティなど特に考え出す年頃みたい。



そういう『テーマ』を元に鑑賞をしてみてもいい。

例えば色んな人のポートレートを使って、『パワー』について考える。


(Thomas Howard, Earl of Arundel - Peter Paul Rubens, about 1629-1630, Isabella Gardner Museum)

ー どうしてこの人はこういう風に描いて貰ったんだろう?(“自分”ってどういう人?)
ー どういう力を持っているんだろう?(富、名声、プライド、技術,etc)
ー 絵のどこからそれがみて取れるだろう?(背景、小物、表情、衣服、etc)

ー 自分が持ちたいパワーはどのポートレートと似ている?
ー 誰かに力を貸してもらうなら、どの人?
ー これらのポートレートを、今の社会に当てはめるならどういう人たち?

などなど。もちろん質問の後には「なぜ?」「どうしてそう思う?」がついてくる。


自分が高校生の時って何考えてたんだろな。


  


2017年11月30日

教訓

If you want to build a ship,

don’t drum up the men to gather wood, divide the work, and give orders.

Instead, teach them to yearn for the vast and endless sea.

船を造りたいのなら

男どもを森に集めたり、仕事を割り振って命令する必要はない。

代わりに、広大で無限な海の存在を説けばいい。

Antoine de Saint-Exupry


"Ship with Butterfly Sails", Oil painting by Salvador Dali, 1937.


教育でも言えることだな。

そこに興味や目的を見出せば、手段は自ずとついてくる。

効率が悪くたっていい。

やってみて、発見することも大事。

学びは過程にある。

あとは教育者として

いかに海への憧れを抱かせることができるのか。